2023年7月 9日 (日)

「走れメロス」のラストを改変(^ ^)

メロスが広場に着いた時  🌞は既に沈み  身代わりとして縛り首になったセリヌンティウスの骸が風に揺れていた。

「友よ。すまない。最善は尽くしたのだが・・・」

メロスは両膝を地面に落として慟哭した。その時、2人の刑吏の足音が近づき、一人が短剣とディオニス王からの手紙をメロスに差し出した。

「どうじゃ、ワシの言ったことが正しかっただろう。信じる者は足をすくわれるのじゃ。短剣は返す。好きに使うがよいぞ」

メロスは瞑目すると走る途中で服を脱ぎ捨てたために顕となった腹に短剣の切っ先をあて、力を込めて突っ込んだ。その瞬間、🌞は瞼の裏に再び現れた。

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2019年1月19日 (土)

陽炎(49)

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 六年目の学務は入試委員会と学生委員会で入試は推薦の合否判定、学生のほうは最初の二年と同じクラブ・サークル担当で、今度は主査になった。副査は新任の体育科教員である。前任は母校へ栄転し、その後輩という形だった。少しずつ責任が重くなる一方、博士取得に向けての準備でも単位取得のために母校の論文集にも一本書くことが決まった。

 

 ネットを活用した流通の新しいトレンドとは別に書くのは観光を意識してエアライン経営統合である。日本の航空法には外資規制があって自動車メーカーのように外国人を代表にできないこと、外国人役員や株式の外国人所有割合は三分の一という規制があることを踏まえて「日本における航空規制緩和の展開」というテーマを選んだ。

 

 博士論文の前段階としてのネット通販と宅配便業界の交通学会へのプロポーザルは受け入れてもらえた。出前授業は付属中と高校の他に始めて地元の公立中一校に「物を運ぶ仕事」というテーマで講演した。大阪港コンテナのワーキングが終わって学外の活動は一段落したが、土日も仕事に追われるのは研究所時代と大差なかった。

 

 ゼミ生の就職も頭の痛い問題だった。運動部では野球部二人、剣道部二人が四年生でみんな実業団に入りたいと希望した。野球は地元のOガスに投手として、そしてN社の野球部に内野手として一人入った。ガスのほうは五年ぶり、N社は十三年ぶりだそうである。剣道の二人はFエクスプレスと引越しのA社に決まった。いずれはN社にも引き受けてもらいたいし、そうなると部を引退して会社に残ってもやっていけるように鍛えないといけなかった。

 

 物流学会は翌年、福岡にあるN学園大学で行われることとなり、統一テーマで「地方における物流インフラ」という話になった。どういうわけか私に開港が三年後に迫った新しい北九州空港と福岡空港の関係ということで発表するようにという話が来た。北九州市と福岡市は何かにつけてインフラ整備の競争をしていて、博多港と北九州港もそうである。港については神戸の先生、空港が私、どうやら地元の先生が話すと波風がたつというのが他のエリアに振り分けた理由のようだった。この準備もするとなると博士論文プラスで平成十六年度の忙しさは確実にアップである。

ここで打ち切ります  交通と通信の関係は  テレワーク  バーチャル観光  の他  自動制御や決済にも及びます  主人公の研究もそういう方向でいくでしょう  そして大学の存在意義は学生にどんなスキルを得させるのかということに尽きます

 

 

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2019年1月18日 (金)

陽炎(48)

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 平成15年が明けて五回目のセンター試験を経験することになった。今回は教室の担当で、初めて受験生の前で注意事項の読み上げを行う役目になった。過去二回は問題やマークシートの配布と解答用紙の回収だが、声を出す役目では早すぎても遅すぎてもいけないので気を使った。

 初めての観光産業論は私鉄の経営多角化の一環としてのレジャー戦略を出題した。小テストでは航空の規制緩和・船会社のクルーズ化を出題していた。クルーズ化も航空の歴史とかかわりが深く、旅客の航空シフトへの対応という話である。とにかく交通の側面が強かったが、次の年度へのシラバスは旅行業界に必要な資格取得にも役立つように旅行業の話や観光地にも触れることとした。もっとも資格取得ならば専門学校の役割であり、大学教育としてはあくまで経営・経済の観点を主眼にしたかった。

 専門ゼミの選択では215人の二年生のうち、希望者が30人いた。規模が大きくなると細かな指導が行き届くのか不安があり、公務員も考えている学生には「まちづくり」が専門の先生を勧めた。こちも交通とは密接な関係があり、その先生もシンクタンク出身で旅客輸送に関する調査の経験があった。

 中高生向けの出前授業でも物流だけでなく、観光バージョンを入れた。航空輸送に関してはJ航空がD航空を吸収する形となったが、それはアメリカのP社と同じ運命をたどるのではないかという指摘があった。国際中心のP社は国内中心のN航空を吸収したものの、労働組合との関係で賃金水準をP社の高い水準に合わせざるを得ず、経営破たんに進んでしまった。D航空の賃金水準もJに合わせるとなると同じ懸念があった。さらにコストアップの要因は多種多様な機材である。

 アメリカではSW航空が新規参入組として急成長を遂げたが、その要因は機材をボーイングの737に統一したことであった。J航空は路線に応じて747、777、767、737とボーイングを持っていた。このうち737は国内ネットワーク拡大のために入れたものである。一方777はD航空も持っているが、767と737はエアバスやダグラスなど同じ規模の機体を持っていた。とにかくやるべきは機材を統一して乗務員訓練や整備のコストを抑えることである。これができなければスケールメリットを享受することは不可能だった。

 日本国内の新しい航空会社も三社目が誕生した。羽田・福岡のS航空、羽田・札幌のH航空に続き、仙台を拠点にしたF航空である。社長は学会でコメンテーターをしてもらった人なのに驚いた。この人は夢を追う人で、S航空が立ち上がると次をということがわかった。F航空は仙台とまず大阪を結んだが、乗る用事はなかった。

 

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陽炎(47)

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 交通学会の会場は都心から少し離れたS鉄道の沿線である。駅からさらにバスに乗るという点でアクセスが大変かなと思った。整備新幹線と鉄道貨物の問題は第三セクター化されたルートが「複線電化」から「単線非電化」にしてインフラのメンテナンスコストを下げようとする動きへの懸念がまず挙げられた。そして青函トンネルについて、私は旅客列車と貨物列車の速度差が新幹線化によって広がる懸念を挙げたが、発表者はレールの幅の違い、在来線と新幹線の電圧の違い、列車すれ違い時の風圧による荷崩れの恐れを加えていたので高く評価した。

 交通学会の報告の中に今後の研究方向の参考になりそうなものがあった。「通信ODと移動の相関関係」というもので、固定電話回線の地域間通信と交通量を分析したものだった。発表者はJ航空から大学に転じた若手研究者である。携帯電話によってデータを集めにくくなる問題はあるものの、通信があって交通が発生するというのは通信販売の人流版だなと思い、ふと観光における交通につながるのではと直感した。

 懇親会では紀要に発表した「テーマパークと交通の相関」については交通学会の関西部会で取り上げてみてはということを関西の先生から言われた。私鉄経営の中でのアミューズメントから私鉄以外の経営主体がどのようにアクセスを確保するのかというのは関心を呼びそうなテーマである。交通学会も少しずつ観光シフトを進めようとしていた。

 二日目には深井も会場に来た。とりあえず学内の食堂でランチをしながら大阪港の話である。神戸の発着だったコンテナを取り込んだものの、それは国際的にみれば釜山や上海からの枝という航路である。コンテナ船の大型化に日本の港は送れつつあり、コンテナ取扱量はシンガポールや香港が世界のトップクラス、日本は横浜や神戸が代表なのだが、世界的にははるか下という状態になっていた。各地に整備される港湾からは釜山に服せ巣という状況で、西日本では博多・北九州・下関いずれも似通っていた。

 深井は大阪港の他に北九州空港も担当することになった。西日本の航空貨物需要をどこまで取り込むかという話であるが、福岡・佐賀・大分・山口が限界だろうというのは彼も同じ認識である。S社が航空貨物会社を設立しようとしているニュースが貨物関係の専門誌に出て、ボーイング767の貨物専用機を使うということまでリリースされていた。N社はどうもそのようなアグレッシブなことはしないようである。S社は東京・大阪の鉄道貨物でも専用のコンテナ列車を共同で走らせることにした。それは両端に機関車をつけた日本では始めてのタイプである。

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2019年1月17日 (木)

陽炎(46)

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 大阪港の調査はリーダーが主任研究員で、深井がサブリーダー、それを物流技術部の新人が手伝うというものである。この調査では淀川をハシケでさかのぼることも検討するというものだが、鉄道や道路の端桁の高ささからみても無理があると直感した。とはいえ、阪神大震災をきっかけに河川交通の見直しが始まっており、東京では隅田川や荒川がその候補となっていた。

 最初のワーキングは六月の末に行われた。交通学会の年報に掲載された「チャイナランドブリッジ」を深井も読んでいた。彼も秋にはトラックと環境問題をテーマに物流学会で報告するプロポーざるを提出していた。ワーキングのあと二人でカフェに入って彼のやっている非常勤の話も聞いたが、学生の関心は物流よりも観光のほうが高く、どうも二刀流で行ったほうがいいという結論になった。

 博士論文を意識してネット動脈物流というタイトルを考えたが、まずは前段階でネット通販と宅配便業界というところから切り込もうと思った。通販から日常の買い物もネット注文そして宅配というのが博士論文の構想である。そこでは宅配便業界の労働問題煮まで言及しようと思った。それは労働法の知識も動員するまさに「学際」の領域である。

 家での子育ては自分と妻の両親の手助けも受けた。長男の保育所の送り迎え、そして娘もどちらかの両親に見てもらったりしている状況だった。今は両親も元気だが、遠からず介護という問題も出てくるのかなと思った。とにかく妻に買い物の負担まで背負わせるのはとてつもなく心苦しかった。

 交通学会のほうで東北新幹線八戸延伸に伴う東北本線の第三セクター化と貨物輸送への影響についてのコメンテーターを頼まれた。発表者は東北大学の院生である。予稿を見ると北海道への延長での青函トンネル問題にも触れているので、それは自分の指摘とも合致していると評価することにした。物流・交通ともに関東で行われるため、連続しての出張である。

 交通学会の際はマイルを使っての上京になった。宿は両国の国技館に近いところにしてとりあえず小岩の様子も見に行った。総武線の電車は国鉄時代の車両が一層されてステンレスに黄色のラインを入れた新型に切り替えられていた。快速線でもマリンブルーとクリームの旧式は姿を消してステンレスにマリンブルーとクリームのラインの新車だけという状態である。

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陽炎(45)

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 大阪駅前第四ビルにある私の母校のサテライトキャンパスでは学際的な研究で博士号を目指すコースがあって週二回、そこに立ち寄った。午後七時から一時間半の授業はイントラネットを利用したチャットのような形での意見交換である。学部時代に他の文系学部の講義を受けられる制度を利用して憲法・政治学を高校の社会の延長のような感覚で受講したが、S航空の新規参入がらみで発生した独占禁止法との関連で、法律に関することをやりたくなった。

 経済学と法学の接点として経済法、さらに経営にもからむ会社法・労働法、行政との関連から行政法にも目を向けた。研究所の大先輩でR経済大学の学長になった先生は経済法の数少ない研究者の一人でアメリカの独占禁止法、そしてアメリカの物流を専門としていた。

 チャット形式の授業、それは大学院のほとんどゼミと変わらない少人数授業ではとても有効なものだった。自分のゼミでも参考にしてみたいものの、二十人を超えるとさすがに無理だと思った。「教える立場」と「教わる立場」の両方にあってそれでもこれが近未来の大学、サイバー空間の大学になるのだろうかと思った。

 ネットの活用は紀要で準備しているテーマパークに関する研究でもあった。東京ディズニー・ユニバーサル・スペースワールド・ハウステンボス・シーガイヤのまずは交通アクセスと入場者の推移の相関に触れた。ディズニーはすぐそばに舞浜駅ができるまでは少し離れた浦安駅からのバスでアクセスだったし、シーガイヤにいたっては最寄の鉄道駅から離れているという状態である。スペースワールドは最初は枝光駅、そしてスペースワールド駅が新設、あとの二つも近くに駅を新設という状況だった。

 さらに宿泊施設にも着目した。どれも園内に泊まることは可能である。ただしスペースワールドだけは宇宙飛行士体験のキャンプのみだった。あとは集客力ということになるがこれは圧倒的にディズニーが有利で吸収の三つは苦戦していた。とりあえず夏に出すものに間に合わせるために必死だった。

 五年目の学務は国際交流と入試になった。入試はオープンキャンパスである。私は模擬授業と模擬ゼミをそれぞれ行うことにした。物流産業の受講は175人、観光産業は193人でなぜ観光のほうが人気が高いのだろうと思った。三年のゼミ生は21人引き受けた。さらに古巣が大阪府から受託した「大阪港コンテナターミナル」の調査に関するワーキンググループの座長を頼まれてやむなく受諾した。実際の作業は研究所だが、体がいくつあっても足りなくなるほど立て込みそうなところである。

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2019年1月16日 (水)

陽炎(44)

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 二人目は女の子だった。とりあえず妻は二度目の出産と育児休職となっているが、私もできるだけ子供にかかわるようにしないといけないなと感じた。なにしろ少子化は大学の・・・というよりも教育産業にとっては死活問題である。すでに定員割れは私の勤務する大学でも始まっていて地方では学生集めに四苦八苦している状況になっていた。

 教務からは新たに観光産業についても講座を開くということで、準備するように頼まれた。交通学会で航空券直接販売の話をした程度で、少し不安はあったが、観光に対する需要となれば対応しなければならなかった。とりあえずは交通という角度からだが、それは私鉄経営の研究が参考になった。

 とりあえず観光については紀要向けにテーマパークを出そうと考えた。大阪にはユニバーサル・スタジオ・ジャパンがオープンしたが、東京のディズニーランドのように集客ができるのか、そして地方の例としては北九州のスペースワールド、長崎のハウステンボス・宮崎のシーガイヤについて調べ始めた。

 年が明けると元職場の先輩が訪ねてきた。峰岸と同じく関西の貨物に関する調査の一環だそうである。先輩は私の代わりのように鉄道貨物のリサーチセンターに出向していた。渡英した先生の土産の紅茶を出してもてなしたら「イギリスの研究は続けているのか」と言われた。

 元職場では最初の上司だった室長が定年で退職した。次の上司だった室長が経済研究部の部長になり、新たに二人が大学に移った。秋葉原の本社は新橋の旧国鉄の塩止め貨物駅跡地を再開発したエリアに移ることになり、そのままいたら通勤が少し長くなるなというところである。

 ゼミ生は七人が運輸関係に進んだ。H電鉄のエア・カーゴ部門、K鉄道の旅行部門を筆頭にFエクスプレス、引越しのA社、あとの三人がタクシー関係である。とりあえず旅行部門に内定した者に大学のパンフレットに出てもらうことを頼んだ。ほかには損害保険やリース会社といったところもあった。

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陽炎(43)

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 アメリカで同時多発テロが起きたとき、サマースクールで渡米していた学生が一人いたが、西海岸エリアなので影響は泣く、無事に帰国した。中国とフランスにも一人ずついたが、国際交流委員会では安否確認も兼ねて連絡を取り、問題は起きていなかった。冬休みには新たにイギリスのマンチェスターにある大学と連携協定を結ぼうという話が出ていたが、渡英するのは他の先生である。

 母校で行われる交通学会は新しくできた「学術情報センター」で行われた。理系地区の一角にある更地は教養部時代に文系地区との行き来で頻繁に利用した。そこに十階建ての図書館も入った建物ができ、文型地区にあった古い図書館の蔵書が移された。上には学会も行える部屋が設けられ、私の発表は100人規模の部屋だった。

 とりあえずは上海および青島から内陸への貨物輸送ルートに中国が力を入れており、線路の幅が中国も採用している国際標準とそれより9cm広いロシア基準の問題も積み替え作業の効率化でクリアしているということに触れた。日本とヨーロッパの東部や旧ソ連の中央アジアへのゲートとして有望視されていると指摘した。

 コメンテーターは長崎の先生で海陸連携の視点を評価された。日本としてはどの港から中国の港湾にアクセスするのかというのが重要になるが、それが博多なのか下関なのかというのが港湾関係者の関心事である。鉄道との連携となると特に重要だった。鉄道貨物駅と港のアクセスは博多のほうが優位にあるが、下関は関門トンネル通過が不要という利点もあった。

 会場からは日韓の延長で南北の統一ともからめた可能性を質問されたが、それは将来の国際環境の変化次第と応じた。そのようなルートが実現するとしてもチャイナルートのほうが有望ではと直感したが、口に出すのは控えた。ロシアルートについての質問は日本海エリアではないかと答えた。

 懇親会は文型地区にある記念館で行われた。とりあえず紀要に掲載してもらった「小売業による消費者への最終配送」というタイトルで発表したものをさらに掘り下げたいと院での指導教官に言うと学術博士を採るためのテーマとしてみてはとアドバイスされた。経済・経営を量にらみした研究所があり、大阪駅前のサテライトキャンパスに通うことを勧められた。さらに観光という分野にも手を広げることも考えるのがよいとも言われた。

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2019年1月15日 (火)

陽炎(42)

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 基調講演のトップは市役所の港湾・空港局長だった。空港の歴史から入って旧陸軍が八幡製鉄所防衛のために作ったこと、戦後はA空輸の東京・岩国・小倉の路線として始まり、大阪・小倉となったが新幹線の開業で休止。平成三年から東京と結ぶようになったことが紹介された。新空港では747の就航も可能だが、これは貨物便、二十四時間発着できる利点を活かしたいと結んだ。

 次が市立大学の先生で空港アクセスの話だった。鉄道を日豊線から分岐する案とモノレールを空港まで伸ばす案が検討されていること。空港島への連絡橋が道路単独となっているため、鉄道は別に建設する必要があり、費用対効果を検討中であることが紹介された。

 私は研究所時代の調査を元に山口・大分・佐賀などの他県の航空貨物需要も取り込むためには高速道路とのアクセスが大事であること。特に大分との東九州道は集荷の鍵となることを話した。四人の講演者の仲では私が最も若く、貨物のことはどことなく隅にやられていそうな気もした。

 最後は苅田町の町長が自動車産業だけでなく、新たな産業を誘致するためにも空港の存在は重要であることを述べた。また観光という面での期待も強いとも言った。町長は六十代で講演者の中では最年長である。昼食をはさんで午後のシンポジウムは四人がそのままパネリストとなった。

 聴衆の一番の関心は空港アクセスで、貨物については言及がなかった。一言だけ、空港連絡鉄道が旅客オンリーとなっていることについて説明する機会はあった。航空コンテナと鉄道の貨車の規格はあまりに違いすぎて諸外国でもトラックによる輸送という状況である。

 シンポジウムは午後五時に終わり、市立大学の先生や主催の市役所スタッフと挨拶するとすぐに駅に向かった。モノレールは小倉駅の在来線ホームの真上に直角に乗り込んでいて、新幹線までは雨が降っても傘をささずに移動できるようになっていた。「のぞみ」ではなく「ひかりレールスター」を利用した。指定席が横四列とゆったりしており、スピードは「のぞみ」より劣っても快適なのはよかった。

 帰宅すると妻から二人目ができたことを告げられた。ますます責任が重くなるなと感じた。とりあえず母校で開かれる交通学会には「チャイナランドブリッジの現状と今後」というテーマでプロポーザルを出し、ステップアップを着実に進めることにした。

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陽炎(41)

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 朝六時五十分、枕元にセットされた目覚ましアラームが鳴った。私は枕元に置いたリモコンでテレビをつけ、天気予報を聞いた。四年目が始まってまもなく、北九州空港に関するシンポジウムが行われることになり、私は前日から小倉に入ってステーションホテルに投宿した。シンポジウムの前には講演があり、私は貨物を担当することとなった。

 窓のカーテンを開けるとすぐ真下からモノレールが出るところだった。電車は駅からまっすぐ伸びる平和通を進み、隣の駅は歩いてもいける位置だった。駅前の左手にはS百貨店があるが、経営難で閉店したばかりで、右手には昔ながらのアーケード街や歓楽街があった。

 シンポジウムの開始は午後一時半だが、その前の講演は朝十時から開始である。私は二十分ごとに与えられた持ち時間の三番目だった。会場はモノレールで十分ほど行った市立大学である。ニュースを見ながら着替えて七時半にはビュッフェスタイルの朝食を済ませた。そしてモノレールの終点まで行ってみることにした。

 助教授に昇進して学務は就職から解放されて広報と国際交流委員会を割り当てられた。アメリカ・中国・フランスの大学と短期留学の協定を結んでいたが、さらに広げたいというのが大学の方針である。ゼミも専門は21人受け入れた。物流産業論は社会人も受講ということになって190人が届け出た。

 八時前の企救丘のモノレールに乗ると衣替えの前で黒や紺の制服姿の学生の姿が目についた。彼らは大学のあるところよりも手前で下車した。大学のキャンパスは駅のすぐそばで、反対側は競場である。なんともすごい立地だなと思った。終点近くは住宅街で改札を出てみると車両基地とJRのこじんまりとした駅があるだけである。電化されていない単線にホームをひとつ付け足したので、以前は何もなかったのだろうと推測した。

 大学のある駅まで戻り、改札を出ると左は競馬場、右がキャンパスという案内があった。モノレールの下は四斜線の道路が走っていて福岡に向かう高速バスの停留所もあった。キャンパスのモノレールに一番近い建物は武道館で、規則正しく竹刀のはじける音が聞こえた。私は高校の体育の授業で触った程度だが、ゼミ生には今も続けている者や以前やっていたという者もあわせて有段者が十人いた。会場は本館の大講堂で、ここは300人入れるそうである。

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