2019年2月12日 (火)

陽炎(97)

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 物流学会はまた吸収で行われた。小倉駅からモノレールで行ける大学である。金曜の夕方に新幹線で小倉に向かい、駅のホテルに泊まった。総会が終わると駅に駆けつけて大阪にトンボ帰りである。コメントのほうは無難にこなした。博多と北九州の競争に東九州道の全線開通にともなう輸送環境の変化だった。

 参加者の多くは西日本のエリアで、東京からは少なめである。飛行機の利用はまだ福岡空港となっていて北九州が活用されていないことを感じた。貨物では日本のエアラインでひとつだけA空輸系の貨物専用会社が747を成田とここを経由してアジア方面に飛ばしていた。チャーターながら世界最大のロシア製貨物機もきたそうである。

 交通学会は四つの教室を駆使して行った。一番大きな300人用と中程度の150人用三つである。懇親会では学長のあいさつもお願いした。総会では理事の改選も発表され、私も関西の一人に選出された。五十歳になって少しずつ責務が重くなっていることを実感させられた。

 秋になって様々な部が新人戦を迎えた。野球部は戦力が落ちていた。サッカーは関西で優勝した。ロシアのワールドカップでは付属校出身が代表の一人に入っていた。そして剣道部は関西の新人戦でベスト4である。その最初の対戦は私の母校で長男は先鋒として戦った。相手は一年のときに私のゼミだった二年生である。

 母校の部のホームページでは「試合結果」として長男が胴一本、元ゼミ生は小手を二本と表示しているだけだが、こちらの部のホームページには画像まで入れられていた。先に胴を決めたのは長男だが、小手を連続で取って逆転ということがわかった。それは研究室のパソコンで確認したが、見なかったことにした。

 たまたま武道館を覗いて剣道部の稽古しているところを見た。元ゼミの者とも顔を合わせたが、終わってしまった試合のことは覚えていないようである。部長をゆずった先生も稽古に参加していたが、特に試合の話は出なかった。男子は四年連続全日本に団体で出たので来年もと気合を入れていた。

最後のほうは テンション相当落ちました とりあえず ここまでとします

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陽炎(96)

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 物流学会の年俸に向けての論稿手直しはトラック教会の新たなレポートも踏まえて行った。もうひとつの大学が出している紀要のほうは翌年に繰り延べである。とにかく学務でバタバタしていて落ち着かなかった。乳歯は英語と小論文と面接だけとなっていたが、センター試験の事務も必要でとにかく時間がいくらあってもというところである。

 長男は私の母校の工学部を受けることになった。東日本大震災のこともあって都市防災について専攻したいという希望である。センター試験では事務室で待機した。入試委員となると教室での監督や軽微とは別の役割を与えられた。問題とマークシートの搬入から答案の送付にいたるまでの緊張はすごかった。

 二月の教授会では新年度の学務の分担案が示された。学生部長のところに私の名が入っていた。学生委員会の話し合いの段階で、今の学生部長から次は・・・という打診を受けていたので、いきなりではないが、クラブ・サークル、学生相談、就職相談とやってきたので、回ってくるのは覚悟していた。

 学生部長となると以上の三つに奨学金が加わり、さらに学生の処分に関する問題を見なければならなかった。訓告となると該当する学生を呼び出してという役目である。本館に行くことも増えるため、研究に没頭する時間はさらに減ることとなった。「論文を書かない」ではなく「書きたくても懸けない」というのが現実である。

 長男は私の母校に合格した。ひとまずホッとしたところである。大学でも剣道部を続けることになったのはSNの先輩に知られてしまったことだった。彼は法学部で中学のときからちょうどひとつ上の学年だった。道具は特に新調することもなく、ワインカラーの胴を使い続けることとなった。

 平成29年の学務は学生部長一本である。平行して交通学会の主催準備もはじまった。自分が発表することはありえないし、コメンテーターもなしである。物流学会のほうは年報に掲載してもらってとりあえず一息ついた。物流では北部九州の貨物という報告のコメンテーターを頼まれ、忙しいながらも引き受けた。発表者は地元の大学の人である。

 娘は春の市民大会で準優勝、秋と同じ相手に負けた。インターハイ予選では団体の中堅を任されたが、府には一歩及ばずである。新チームでは女子のキャプテンに指名された。長男のほうは秋以降にはメンバーのひとりに入るようだった。旧三商大の対抗試合や新人戦があるが、三大学は坂のある神戸が一番強かった。

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2019年2月11日 (月)

陽炎(95)

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 物流学会が行われたのは横浜市南部にある大学である。また関西・羽田を飛んで京浜急行でアクセスした。宿は横浜駅の近くである。私の発表のコメンテーターはN社の引越し事業部の部長だった。研究所では引越しの梱包材のリサイクルなどの技術的なテーマばかりで経済・経営の側面からの分析はなかったという評価をしてもらった。

 引越しについてはオフピークになるようにするのは難しく、当面使わないものは倉庫に保管ということで、N社のような総合物流業者には有利になるのではないかと指摘した。いわばトランクルームというところである。とはいってもすぐに使う必要のあるものをどうするのかという問題は深刻で、単身ならば、宅配便の複数個利用という方法も考えられた。

 交通学会のほうは大阪と名古屋を近鉄の特急で移動した。このほうがコスト的にはかなり抑えられた。前年に函館まで延びた新幹線が観光にどのような影響を与えたかという報告があったが、物流に関する言及はなかった。この問題は物流学会のほうでも誰も触れていなかった。

 学会のあと、プロ野球のドラフト会議が行われて神宮出場に貢献した投手がスワローズから指名された。会見は監督と選手の二人でという形である。他の部活動ではサッカーが翌年に行われるロシアワールドカップに向けて付属校から地元のJ1に入った選手が代表の候補に残っていた。

 大学の剣道部は男女ともに全日本学生選手権に出た。女子が出場するのは始めてである。娘は秋の市民大会でも準優勝だった。最後の相手は大学生である。長男の進路はほぼ固まっていたが、娘はどんな分野に進むのか決めかねているようだった。体育系の学部に行くにはもう少し上のレベルで勝たなければならなかった。

 紀要にに向けての論稿は旅行会社によるレポートも参照しながら進めた。日本に来る観光客の比率はアジアがダントツである。九州では新幹線や特急列車の車内放送が日英中韓の四ヶ国語対応になっていた。さまざまな案内表示も四カ国となっているが、他の言語にも拡大しているのも重要である。

 駅のナンバリングというのも進みだしていた。日本の地理に詳しくない外国人には路線と駅のコード化がわかりやすさにつながるようである。とはいえ、なじみの駅が番号になってしまうのは少し抵抗があった。私がよく利用する阪和線だと起点の天王寺をH1とすると母校の最寄はH7で、自宅のそばはH10だった。

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陽炎(94)

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 大学に移って二十年目になった。学務は就職相談室長と入試委員を前年に引き続いて行うことになった。野球部長という立場で春の大会では神宮に同行もした。試合は投手戦になり、最後は守備の乱れで一回だけの戦いで終わった。ピッチャーは三振を十個奪い、プロからも注目されていると報じられた。

 娘はSN高に進み、引き続き剣道部である。春の市民大会では十代女子の部に出たが、他校の三年生に決勝で敗れた。それでもインターハイ予選の団体には先鋒に選ばれ、二試合で二勝をあげた。兄は団体の中堅として三試合を戦い二勝一敗である。個人にも出たが、こちらは府大会まであと一歩だった。

 物流学会には自由論題で「引越しのピーク分散に関する一考察」というプロポーザルを出した。テレワークと通勤や出張について研究した延長で、儀行の人事異動、さらには学校の一斉入学といった問題点をあぶりだす試みである。長男の進路がどうなるかも気になるところだが、今のところ自宅通学可能なエリアの工学部というところだった。

 交通学会についてはプロポーザルは出さず、大学の紀要に出すということを考えた。テーマは「鉄道事業者と外国人観光客対応」である。これは海外との比較もしたいと思ったが、最終的には空港アクセスに限られた。個人旅行では公共交通の利便性が重要というのが結論である。

 交通学会の関西部会では災害と鉄道というテーマで、熊本の地震で被災した豊肥線の問題が取り上げられた。吸収では第三セクターの高千穂鉄道が台風被害によって廃止となったが、豊肥線の阿蘇外輪山の部分での土砂崩れは復旧不可能と言われていた。豪華観光列車も豊肥線が走れなくなり、なんとか通れる東から阿蘇へのアクセスという状態である。

 関西部会が行われたのは六月だが、翌月の初めには九州横断のもうひとつの路線である久大線が豪雨で被災した。湯布院は大分から入るという方法だが、こちらは鉄橋を直せば再び通れる状態である。しかし、小倉と日田をつなぐ日田彦山線は福岡・大分の県境で大きな被害が出て復旧の見込みがたたないという状態になった。

 鉄道がローカルエリアにとってスピリチュアルな存在ということがまたものしかかった。東北では山田線の宮古と釜石が第三セクターの三陸鉄道に移されることになって工事が進んでいた。いわばJRからの「手切れ」であるが、その山田線よりも日田彦山線の普通期間の利用状況は厳しかった。

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2019年2月10日 (日)

陽炎(93)

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 野球部からN社に投手が一人入ることになった。私が大学に移ってからでは四人目である。法学部ということで接点はなかった。三年生には有望な投手がいて神宮大会に連れて行ってくれるかもしれないと言われていた。神宮に行くと部長はベンチに入るというのが慣例だが、今年は届かなかった。

 長男の高校は修学旅行でシドニーに行った。利用したのはJS航空である。現地の航行との交流もあって剣道形を披露するために木刀を持っていったそうである。長男は団体のメンバーに中堅で入ったが、私立の大会も府の新人戦でも付属校と当たることはなかった。

 娘のほうは秋の市民大会で中三女子の部で優勝した。高校はこのままSNに進む方向である。夏の中体連では個人で府大会まで行ったが、一回戦で敗退した。それでも女子で府まで行ったのは娘が久々だと賞賛された。

 次の研究テーマも探らないといけないが、物流は人手不足の問題が深刻になっていた。観光については外国人観光客の問題である。物流で問題になるのは引越しで三月末に集中するのが人手との関連でクローズアップされていた。少し実態について調べないといけないなと学生の就職ともからめて考えてみた。

 訪日外国人観光客についてはまず交通の問題から考えた。関西国際空港から京都や奈良への鉄道アクセスは、京都には特急列車があるものの、奈良は乗換えしか方法がなかった。阪和線と関西本線をショートカットする貨物線の復活が有効な手立てだが、誰も提案しようとはしなかった。

 和歌山も関西空港から鉄道でアクセスするには乗り換えなければならない状況のままである。バンコクに行ったとき、空港と都心が鉄道で結ばれていることは心強かったし、ロンドンでの地下鉄、上海のリニアすべてそうである。

 福岡空港が地下鉄と博多・天神が直結しているのは高く評価できた。しかし、それは国内線のターミナルで、国際線となるとバスのみという状態である。羽田は京浜急行が都心を経て成田まで行けるという点で便利だが、モノレールが浜松町で止まっているというのも問題だった。東京オリンピックを機に東京駅から羽田空港まで直通する鉄道路線の構想が持ち上がったが、オリンピックには間に合わない状況である。沖縄も外国人が増えているが那覇空港にはモノレールがあるものの、限られたエリアのみのアクセスである。そういえば観光を教えているのに沖縄にはまだ足を運んだことがなかった。

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陽炎(92)

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  物流学会が行われたのはO大学である。まさかここでやるとは夢にも思わなかった。同じ阪急沿線で、モノレールからも近いが、阪急宝塚線の石橋駅から歩くことにした。ここは交通学会でも来たことはなく、キャンパスにはなじみが全くなかった。長男がどこの大学を目指すのかまだわからないが、ここのハードルは高いということは聞き及んでいた。

 研究発表は150人規模の教室で行われた。懇親会は大学生協の食堂が使われた。母校の生協もようやく模様替えでこぎれいになったが、ここはホテルかと思うような豪華なつくりである。もっとも昭和時代はそれなりに古びたものであっただろうと推測した。トイレも「和室」が撲滅されてオール「洋室」である。

 東京からの参加者は梅田近辺に投宿していた。新阪急ホテルが学会のお勧めで、ここは阪急梅田駅のすぐ脇である。大阪ステーションホテルは大阪駅と直結しているが、その大阪駅は大改修された。27階建ての駅ビルの北側展望室からは以前は眼下に駅を発着する列車、その先には貨物駅、さらに視線を遠くにすると淀川にかかる何本もの橋を見ることができたのだが、貨物の駅はなくなり、線路を覆うように駅の北側のビルと屋根がつけられた。大阪駅のホームにいると外国にいるような雰囲気になっていた。

 交通学会が行われたのは三田にあるK大学である。マイルを使って関西空港と羽田を往復した。どちらもSFにしたのだが、これだと一日目の午前と二日目の午後はなしである。一日目の午後にある総会では学会賞が発表され、私の作品は落選だった。懇親会では惜しかったという言葉をかけられた。

 それから学会の会場を打診された。翌年は中京圏の大学で、その次に関西でやるか東京でやるかだが、関西でやれるならという意見が強いということを知らされた。交通学会のメンバーはまだ関東が主流であるが、西日本の先生も多く、特に九州の研究者が増えていた。

 とりあえず、大学に持ち帰って相談するという返事をした。早速その話をすると前向きな返事をもらえた。タイ出身の学生のR経済大学の院への進学は研究所のOBに引き受けてもらった。この人はレムチャバン港の調査にも関わったことがあり、タイの情勢に興味を持っていることが大きかった。

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2019年2月 9日 (土)

陽炎(91)

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 平成28年度の学務は国際交流委員長の任を解いてもらったが、学生委員会の就職相談室長と入試委員を割り当てられた。ここまで来ると次は学生部長なのかなというところである。先輩の教員の人事を見ていると学生か教務の部長、そして学部長、その先に副学長とか学長というステップがあるが、さすがに副学長以上は限られていた。

 交通図書賞にノミネートされた著作は落選した。交通学会賞のチャンスはあるかもしれないが、こうなるとさばけたかどうかのほうが大事である。出版会からは六割が販売済みで、残りが在庫となっていると連絡があった。受賞してもさばけるかどうかわからないので、とりあえずシラバスに参考図書として入れていた。

 新しいゼミ生は19人で、うち二人は野球部だった。四年生になったタイの留学生が大学院進学を希望したが、学力から見てR経済大学を勧めた。企業の採用意欲は景気の回復もあって少し改善されているが、厳しいことには変わりなかった。

 交通学会での発表やコメンテーターはないが、物流学会のほうでカーフェリーについてのコメンテーターを頼まれた。発表者は福岡の院生で、瀬戸内海航路だけでなく、下関・プサンや博多・プサンにも触れていた。どうして私に回ったのかわからないが、博多港の調査経験があることを買われたのかもしれなかった。

 博多港は北九州に対抗してコンテナの拠点港湾を目指していたが、貨物取り扱いはプサンに遠く及ばず、ローカル港のひとつという状況のままだが、旅客では日本有数の港となっていた。博多とプサンにはフェリーと高速船があり、船による出入国人数では日本一である。

 クルーズ客船の寄稿でも博多は日本有数だった。日本の船会社のクルーズは横浜がベースで次いで神戸であるが、海外からは博多寄港が圧倒していた。博多港の背後には大宰府などの観光地があり、ショッピングにはとても便利な場所である。

 瀬戸内海のフェリーは神戸・大阪・泉大津と北九州の新門司をつなぐ航路がなんとか残っていた。トラック輸送を海上に転換する政策は人手不足が追い風になった観があった。

 夏休みは久々に家族で旅に出た。行き先は山口件である。新幹線とバスを乗り継いで萩に行き、市内の循環バスで勝因神社と城下町を見た。ローカルエリアの観光にも目を向けるためであるが、交通の便からみて外国人を引き寄せるのは厳しそうに思えた。

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陽炎(90)

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 11月になって私立高校の剣道部による大会が大学の体育館で行われた。ちょうど三年前と同じめくり合わせに私は驚いた。長男は新チームで次鋒に入れてもらった。副将も一年生で、あとの三人は二年生だった。試合の方式もまず予選リーグが三校一組であり、トップのチームが決勝トーナメントである。

 SN高はキリスト教系のM学園と大学の付属校の組に入れられた。M学園は三年前と同じだが、長男の相手は別の選手である。まずSNとMが対決した。先鋒は面一本で勝利、長男はまず取り返そうとしてきた相手の胴を抜いて先行した。相手の胴はマリンブルーに金の校章、こちらはグリーンに金である。

 そのまま逃げ切って中堅は引き分け、副将は小手で一本勝ちしてチームの勝利が決まった。大将は面で先行して小手を取られたが、面に対して胴を返して突き放した。それからMと付属校の試合になったが、こちらは四勝一引き分けで付属校が圧倒した。勝者数は同じ、取った本数はSNが五本、付属校は八本である。

 SNと付属校の対決は先鋒が付属の小手一本勝ち、長男は試合開始から一分くらいで小手から胴に変化する業で先行した。少し守りに入っていたのを終わる直前に崩されて左側の胴を打たれた。中堅は面を二本取られ、副将も相手の面を胴に抜いたものの、小手で追いつかれた。大将もつばぜり合いから引き胴を浴び、付属校が戸トーナメント進出した。

 付属校は結晶トーナメントの一回戦でS高に代表戦までもつれて敗北した。決勝戦はSとU高でUが制した。次の週には私立中学の大会があり、妹は大将として望んだ。一年生のときは先鋒で二勝したものの、チームは予選リーグで涙を呑んだ。今度は一勝一引き分けでトーナメントに進んだが、P学園に競り負けた。

 年末が近づいて大学の剣道部長を交代してはどうかという話が出た。法学部の阿田和しい専任講師が剣道五段を持っていてときどき稽古に参加していた。私はずっとたまに見るだけで、それなら適任だろうと譲ることに同意した。と思ったら、野球部の顧問を受けて欲しいと依頼された。研究所のOBでも野球部長を経て学長にまで上がったケースがあるので、受けることを決めた。

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2019年2月 8日 (金)

陽炎(89)

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 8月に入ってすぐにバンコクに飛んだ。関西国際空港からはA空輸とアライアンスを組んでいるT航空である。A空輸がすべての747を退役させて二本の747は政府専用機だけになってしまったが、ここは成田と関西に747を飛ばしていた。やはり四発の安心感は777と大違いである。

 出張は私一人だった。現地で日本語学校を回るのだが、ベトナム同様顔つなぎというところである。バンコク空港から市内までは鉄道のアクセスがあってホテルまでも一人で移動した。三泊四日の滞在で日本留学希望の学生とも面談したり、観光スポットである暁の寺を案内してもらった。

 帰国すると出版された著書を学会の知人に配った。古巣にも寄贈したし、もちろん大学の図書館にも置いた。研究室の本棚には自分の本が50冊ほど並べる形になったが、とにかくどれだけさばけるのかが気になるところである。共著として出した二つは絶版になってしまった。シラバスではテキストの指定をせず、参考図書として入れるだけである。

 物流学会は千葉にある大学で行われた。とりあえずスカイツリーに行ってみたが、眺望は期待したほどではなかった。大気が秋だというのにそれほど透き通っていなかったのである。東京に来るたびに外国人観光客が増えているのを感じた。日本人と違って大声で話す傾向が強く、それでわかるというところである。

 交通学会が行われたのは広島の郊外にある大学だった。新幹線・路面電車・新交通システムを乗り継ぐ形である。懇親会では著書を贈った先生の一人から「交通図書賞」に推薦したという言葉をいただいた。これは年度末に発表されるので学会よりも早く結果がわかった。そして学会で与えられた賞は海外への高速鉄道売り込みをテーマにしたものと高齢ドライバーの運転特性というものだった。

 交通学会と同じ日には子供たちの秋の市民大会が行われた。娘は中二女子の部で優勝を果たした。夏の中体連では団体で先鋒を務め、新チームになると女子キャプテンに任じられた。兄のほうは夏の大会ではまだ一年ということで出られなかったが、秋の大会ではベスト4に入った。最後に負けた相手は同じ高校の新キャプテンだそうである。

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陽炎(88)

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 平成27年度は国際交流委員長を引き続き、そして学生部の就職相談室を兼務することになった。三年のゼミ生は20人受け入れ、一人はタイ出身である。どういうめぐり合わせか国際交流でバンコクに行くこととなった。物流産業の受講は190人で、観光産業は205人という具合である。

 長男はSN高校に進んだ。本人はどうも理科系、工学関係に興味を持っているようである。交通の世界は工学と密接に関わっているが、どこの大学がいいのかは本人の学力と相談である。高校でも剣道部は続けるようで春の市民大会は十代男子の部に出たのを見に行った。一回戦は私が卒業した府立の選手に面二本で勝ったが、相手の返し胴に審判一人が旗を上げていた。二回戦は同じ高校の先輩と当たり、面で一本勝ち、これも相手の抜き胴が不十分だった直後の面である。

 三回戦で当たったのは私が卒業した大学の者で、高校は私の母校である。勢いで勝ち抜けるかなと思ったが、面に出たら中学から使い出したワインカラーの胴が甲高い音を立てた。妹のほうは中二女子の部で準優勝だった。どうやら他校とライバル関係という者ができたようである。十代男子の部で優勝したのは長男を倒した大学生で二年生だった。次の週末には福岡で行われる西日本学生大会に団体の先鋒で出るそうである。

 出版会には春休みの終わりに原稿を出した。出版が七月となると交通学会の選考は翌年になるタイミングである。元J航空の人が受賞した本は表紙カバーに右旋回する747のイラストが入っていたが、私は無地のライトブルーのものを選んだ。

 物流・交通ともに発表もコメンテーターもなかった。そろそろ発表もしないといけないと思いつつ、通信と交通をさらに深めるのか、新たな分野を開拓するのかまた悩みはじめていた。

 大阪では市営地下鉄の民営化や私の母校と府立大の統合などが取りざたされていた。民営化の問題は交通と密接にからむが、地下鉄とバスの関係をどうするのかという課題も重要である。大学のほうは教員にとっては「生き残り競争の激化」が考えられた。両方に経済・工学があって、これを統合するとなると作業が大変である。

 それだけでなく、市と府を統合して都を作ろうという構想が住民投票にかけられた。反対がかろうじて賛成を上回ったが、将来どうなるのかは不透明である。堺も特別国なるとなれば、妻の職場とも関係した。

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