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基調講演のトップは市役所の港湾・空港局長だった。空港の歴史から入って旧陸軍が八幡製鉄所防衛のために作ったこと、戦後はA空輸の東京・岩国・小倉の路線として始まり、大阪・小倉となったが新幹線の開業で休止。平成三年から東京と結ぶようになったことが紹介された。新空港では747の就航も可能だが、これは貨物便、二十四時間発着できる利点を活かしたいと結んだ。
次が市立大学の先生で空港アクセスの話だった。鉄道を日豊線から分岐する案とモノレールを空港まで伸ばす案が検討されていること。空港島への連絡橋が道路単独となっているため、鉄道は別に建設する必要があり、費用対効果を検討中であることが紹介された。
私は研究所時代の調査を元に山口・大分・佐賀などの他県の航空貨物需要も取り込むためには高速道路とのアクセスが大事であること。特に大分との東九州道は集荷の鍵となることを話した。四人の講演者の仲では私が最も若く、貨物のことはどことなく隅にやられていそうな気もした。
最後は苅田町の町長が自動車産業だけでなく、新たな産業を誘致するためにも空港の存在は重要であることを述べた。また観光という面での期待も強いとも言った。町長は六十代で講演者の中では最年長である。昼食をはさんで午後のシンポジウムは四人がそのままパネリストとなった。
聴衆の一番の関心は空港アクセスで、貨物については言及がなかった。一言だけ、空港連絡鉄道が旅客オンリーとなっていることについて説明する機会はあった。航空コンテナと鉄道の貨車の規格はあまりに違いすぎて諸外国でもトラックによる輸送という状況である。
シンポジウムは午後五時に終わり、市立大学の先生や主催の市役所スタッフと挨拶するとすぐに駅に向かった。モノレールは小倉駅の在来線ホームの真上に直角に乗り込んでいて、新幹線までは雨が降っても傘をささずに移動できるようになっていた。「のぞみ」ではなく「ひかりレールスター」を利用した。指定席が横四列とゆったりしており、スピードは「のぞみ」より劣っても快適なのはよかった。
帰宅すると妻から二人目ができたことを告げられた。ますます責任が重くなるなと感じた。とりあえず母校で開かれる交通学会には「チャイナランドブリッジの現状と今後」というテーマでプロポーザルを出し、ステップアップを着実に進めることにした。
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