陽炎(97)
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物流学会はまた吸収で行われた。小倉駅からモノレールで行ける大学である。金曜の夕方に新幹線で小倉に向かい、駅のホテルに泊まった。総会が終わると駅に駆けつけて大阪にトンボ帰りである。コメントのほうは無難にこなした。博多と北九州の競争に東九州道の全線開通にともなう輸送環境の変化だった。
参加者の多くは西日本のエリアで、東京からは少なめである。飛行機の利用はまだ福岡空港となっていて北九州が活用されていないことを感じた。貨物では日本のエアラインでひとつだけA空輸系の貨物専用会社が747を成田とここを経由してアジア方面に飛ばしていた。チャーターながら世界最大のロシア製貨物機もきたそうである。
交通学会は四つの教室を駆使して行った。一番大きな300人用と中程度の150人用三つである。懇親会では学長のあいさつもお願いした。総会では理事の改選も発表され、私も関西の一人に選出された。五十歳になって少しずつ責務が重くなっていることを実感させられた。
秋になって様々な部が新人戦を迎えた。野球部は戦力が落ちていた。サッカーは関西で優勝した。ロシアのワールドカップでは付属校出身が代表の一人に入っていた。そして剣道部は関西の新人戦でベスト4である。その最初の対戦は私の母校で長男は先鋒として戦った。相手は一年のときに私のゼミだった二年生である。
母校の部のホームページでは「試合結果」として長男が胴一本、元ゼミ生は小手を二本と表示しているだけだが、こちらの部のホームページには画像まで入れられていた。先に胴を決めたのは長男だが、小手を連続で取って逆転ということがわかった。それは研究室のパソコンで確認したが、見なかったことにした。
たまたま武道館を覗いて剣道部の稽古しているところを見た。元ゼミの者とも顔を合わせたが、終わってしまった試合のことは覚えていないようである。部長をゆずった先生も稽古に参加していたが、特に試合の話は出なかった。男子は四年連続全日本に団体で出たので来年もと気合を入れていた。
最後のほうは テンション相当落ちました とりあえず ここまでとします
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