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2019年2月 2日 (土)

陽炎(78)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 周の大学院進学は私の母校はうまくいかなかった。十一月になって研究所の先輩もいるR経済大学の院に引き受けてもらうことが決まり、ひとまずホッとした。私の母校に行った陳は前期を終えてシンクタンクに入った。日本企業の中国展開を背景に物流の知識が買われたようである。

 王さんは交通学会の会員にもなり、私も推薦人に名を連ねた。修士論文を中国のエアラインで書いていて、博士に向けて頑張っているようである。ゼミ生の就職は運輸関係を中心として流通や公務員と多岐にわたっていた。団塊の世代リタイヤで若い社員の確保に躍起となるところも出てきてネームバリューにこだわらなければ行ける状況が生まれだした。

 推薦入試が始まって書類選考と面接で志望者の動向を見たが、さすがに災害ボランティアをアピールする者は皆無で、クラブ活動が中心だった。剣道の関係はインターハイの府予選まで行ったのが男女ともにいて男子のみならず期待できそうな感じだった。長男は秋の市民大会は中学受験の模擬テストと重なって辞退したが、妹はベスト8に入賞していた。

 物流学会の次年度の統一論題は「災害と物流」に決まり、私も何か出さねばと思った。研究所時代のN社テーマを思い出し、鉄道貨物をもう一度と思っていたら事務局からそれでいかないかという話になった。災害と物流は峰岸もあちこちから受託していてリーダーも勤めていた。研究所のホームページを見ると峰岸も深井も副主任研究員に昇格した。スポーツサイトのほうを見たら山田は次鋒に移っていたが、段位は四段のままである。

 冬休みの災害ボランティアは仮設住宅に入っている人たちの話相手だった。東松島と山田町それぞれに二人ずつ向かい、体験談の聞き取りである。寒さの厳しさを感じ取ってきたが、それは心にできた穴もあるのだろうと参加した学生たちは言っていた。さらに春休みのボランティアは災害を学ぶということで石巻や原発事故から非難している人の多い会津若松に行くということで募集が行われた。

 長男はSN中に行くことになった。中学でも剣道を続けたいというので、初めて「マイ防具」を買い与えることにした。一式で十万円となると実家にも手助けを仰いだ。胴はなぜかワインカラーの特徴あるものを希望してきた。他の人と少し違っていても気にしないのはいいのではと私は思った。

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