陽炎(44)
前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m
二人目は女の子だった。とりあえず妻は二度目の出産と育児休職となっているが、私もできるだけ子供にかかわるようにしないといけないなと感じた。なにしろ少子化は大学の・・・というよりも教育産業にとっては死活問題である。すでに定員割れは私の勤務する大学でも始まっていて地方では学生集めに四苦八苦している状況になっていた。
教務からは新たに観光産業についても講座を開くということで、準備するように頼まれた。交通学会で航空券直接販売の話をした程度で、少し不安はあったが、観光に対する需要となれば対応しなければならなかった。とりあえずは交通という角度からだが、それは私鉄経営の研究が参考になった。
とりあえず観光については紀要向けにテーマパークを出そうと考えた。大阪にはユニバーサル・スタジオ・ジャパンがオープンしたが、東京のディズニーランドのように集客ができるのか、そして地方の例としては北九州のスペースワールド、長崎のハウステンボス・宮崎のシーガイヤについて調べ始めた。
年が明けると元職場の先輩が訪ねてきた。峰岸と同じく関西の貨物に関する調査の一環だそうである。先輩は私の代わりのように鉄道貨物のリサーチセンターに出向していた。渡英した先生の土産の紅茶を出してもてなしたら「イギリスの研究は続けているのか」と言われた。
元職場では最初の上司だった室長が定年で退職した。次の上司だった室長が経済研究部の部長になり、新たに二人が大学に移った。秋葉原の本社は新橋の旧国鉄の塩止め貨物駅跡地を再開発したエリアに移ることになり、そのままいたら通勤が少し長くなるなというところである。
ゼミ生は七人が運輸関係に進んだ。H電鉄のエア・カーゴ部門、K鉄道の旅行部門を筆頭にFエクスプレス、引越しのA社、あとの三人がタクシー関係である。とりあえず旅行部門に内定した者に大学のパンフレットに出てもらうことを頼んだ。ほかには損害保険やリース会社といったところもあった。
| 固定リンク
« 陽炎(43) | トップページ | ヤッパリ寒いなぁ »
コメント