陽炎(17)
前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m
新しい年度が始まって経済研究部は三つの研究室に再編成された。私の室長は別の室長の元に入る形となった。研究部から二人がR経済大学に転身した。どちらも定年よりも前で、よくあるパターンだった。私もまた同じ道を歩みつつあるのだが、悟られないようにはしていた。もっとも学会発表に熱心という時点で疑われるのに十分だが
私と峰岸・深井の後、研究部には新入社員がいなかった。物流技術部は毎年一人ずつ入ってきていた。ここは深川に技術試験場もあり、独自の採用ルートができていた。新しい室長は運輸省の外郭団体から帰ったばかりで、国際物流が専門だった。研究の幅を広げるにはうってつけではあった。
福岡市のテーマはヒアリングを下に国内よりも国際という方向に仕上げたが、先方にはまだ国内へのこだわりがあるようで、最終的にまとめた報告書となったのは年度を越えて六月にまで食い込んだ。日本海航路は博多・直江津にフェリーがあるが、新潟を介して小樽という構想も提案した。
鉄道貨物は東京から黒磯までの直流区間、黒磯から青森の交流用、青森と函館の青函トンネル専用機関車、そして函館と札幌のディーゼルの四種類の機関車を東京から函館まではひとつの機関車で結ぶという案を示した。それによって付け替え時間の節約をするのである。ディーゼルについては既に新型の開発が進んでいた。
メタノールは新年度では九州地区について行うこととなった。とりあえずは吸収道に大分と長崎に分岐する区間の交通量のデータ集めからである。これは「道路交通センサス」という建設省のデータを使った。外郭団体の事務局長は福岡市の出身で、博多での委員会はテンションがあがりそうなところである。
整備新幹線と貨物輸送で寄稿した交通専門誌には「日本における鉄道貨物」という論稿を新たに求められた。これは鉄道貨物の調査で得られた知識が役立つものである。そして調査のほうも新年度は東京・福岡の課題となった。四月に阪神大震災でとぎれた線路はようやくつながったが、万一の際の迂回ルートが新たな課題である。
交通学会には「イギリスの格安航空」というテーマで発表したい旨を出した。それも十月の全国大会という大胆な挑戦である。物流学会のほうは専門誌に「イギリスの鉄道貨物」を掲載してもらえた。とにかく一年ごとに物流と交通で発表していくという体制で臨むつもりである。
| 固定リンク
コメント