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2019年1月27日 (日)

陽炎(66)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 卒業式の後の謝恩会は梅田のホテルで行われた。ゼミ生は21人が巣立つが、出席したのは17人である。山田は紺のスーツで参加した。彼がどこに配属となるかわからないが、航空事業部ということは知らされていた。ゼミ生の進路は様々だが、家業を継ぐというケースや未定で出るという気ががりなケースもあった。

 正月三が日明けには長男と私だけで初稽古に顔をだした。妻と娘は妻の両親と過ごし、私は稽古会の先生の車に同乗して行った。都会では車なしでもというものの、道具を持ち運ぶという点ではあったほうがというのが剣道関係者の一致した意見である。長男は山田をはじめ卒業した人などに稽古をつけてもらった。

 長男の道具は娘に移し、もう少し大きいものを借りた。今度はオーソドックスな黒胴である。春の市民大会では一回戦で面一本負け、住吉大社での奉納試合に団体Bチームの先鋒で出してもらったときは引き分け、市内の道場の創立四十年記念大会もBチームの先鋒で敗退となかなか公式試合での勝ち星がなかったが、秋の市民大会で初めて面と引き胴を決めて勝った。それはちょうど交通学会と重なったため、私は見ることができなかった。

 四月からは教授に昇進することになり、次は広報委員長を引き受けて欲しいと言われた。委員長は二年後とではなく、三年ごとというパターンのようで、少しずつ責任が重くなるなと感じた。学生部のほうは引き続き就職である。適性検査の試験監督をしたり、週一回就職相談室で待機したりと学務が忙しかった。

 研究はとりあえず紀要を仕上げたが、外部のものというのがまだまだである。運輸専門誌から「物流」の特集で、研究者の一人として航空貨物のことを頼まれた。羽田・北九州の夜間貨物はG社の経営が破綻して先行きは不透明になり、那覇を中継したアジアとの輸送に注目が集まりかけていた。

 新たなゼミの希望者は25人で、21人受け入れた。王さんという中国からの留学生が大学院を志望していた。彼女は留学前はエアラインの客室乗務員で、あちらの航空事情についてレポートさせるのもいいなと思った。アメリカの航空業界について研究したいということで英語の勉強も自然にできた。行き先はこの分野に強い神戸の先生だなと思った。

 年が明けてから本格化したのは物流学会主催に向けた準備である。まだ日時を決めていなかったが、交通学会と重ならないように注意した。交通学会が東京で十月の第一週にあると既に決まっており、物流はその一週間前ということにした。教室は一番大きなものに加えて中程度を三つ、これで例年通りの運営は可能である。受付などはゼミの学生にアルバイト代を出して手伝ってもらうことにした。

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