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2019年1月21日 (月)

陽炎(54)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 会合は最上階の社員食堂で行われた。眼下に浜離宮が見える贅沢な場所である。外はすっかり暗くなり、レインボーブリッジや羽田に下りる飛行機の明かりがきれいだった。学会と同様、ビュッフェ形式のため、椅子は端っこだが、私はずっと立って多くの人と会話するようにしていた。

 OB会の初代会長には長年物流技術部長を務めていた人が就任した。私が入所した年に定年となったが、顧問として物流技術部のフロアで受託テーマに関わっていて、今も週三回は出勤していた。研究所創設メンバーの一人で経済研究部の御大と言われ、私が入ったときは専務だった方は千葉県にある大学に入ったが、「後期高齢者」になるのをきっかけに辞退した。

 会設立の乾杯の音頭は研究所の社長が取った。歴代の社長はN本社から下りてくる形で、この人も総務部長を最後に研究所に来た。名刺を渡してあいさつし、大学の剣道部長を引き受けることを話すと「私も元は剣道部でした。いい学生いたらぜひ」と言われた。山田が推薦で入ることになったので、彼の意思次第ではNに送り込もうと決めた。

 R経済大学に行った人も群馬や神奈川の大学の人もおらず、二十五人の出席者は元物流技術や情報システムの人ばかりである。卒業式を控え、新年殿準備で忙しいのかなと思った。午後八時にお開きになると研究所のフロアを覗いた。深井は帰宅したが、峰岸は残っていた。

 どんなテーマをやっているのかと尋ねるとN社からの受託二件、全日本トラック協会二件、運輸政策機構・ロジスティックスシステム協会・岡山県から一件の七件に関わっているという返事だった。N社とトラック協会の二件はチームリーダーだそうである。市川にある借り上げ住宅に帰るのはいつも終電だった。新橋と市川は総武・横須賀の快速一本だが、秋葉原よりも遠くなったのは気の毒である。

 彼の邪魔をしないようにそそくさとホテルに戻った。翌日は浜松町まで歩いてモノレールで羽田に行き、九時半の飛行機で関空に向かった。今度は767で横七列のうち、窓と通路で四列が埋まっていた。成田の発着枠の制約で関空に回された国へのフライトを利用する客もあるようだが、閑散とした感じは否めなかった。関空のターミナルビルでランチを食べ、南海の急行に乗り、羽衣で乗り換えというルートで自宅に戻った。

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