陽炎(20)
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朝になってホテルから見た景色は被災の状況をあらわにしていた。思った以上に多くの建物が被害を受けていてまだブルーシートに覆われているものや取り壊し中といったところである。ホテルを出て改めて阪急三宮駅を見たらホームの部分から上がなくなっているのが改めてわかった。
ポートアイランドに向かう新交通システムで一駅行くと神戸支店だった。ここで二時間ほど支店長や総務課長と面談して当日の朝からの状況をつぶさに聞き取った。内容はテープで録音して改めて書き起こすということにしていた。発生が早朝で社員の多くが出社しておらず、職場まで来るのに苦労したこと、安否確認、高速道路で遭難したトラック、その後は支援物資のこと。本社と現場のギャップは話を聞いていて明らかだった。航空支店のことは本社でも聞いていたが、六甲アイランドにある倉庫で遺体の一時保管をしたというのも生々しかった。夏場ならば大変なところである。
支店の周辺は歩道にひびか入ったりしていた。神戸市役所は四階部分が壊れていたが上が撤去される形となっていた。海側にある高層部は無事だった。ここの展望室に行くと海側の阪神高速道路は桁などの工事を行っているところである。ランチを市役所のそばの食堂で済ませるとタクシーで警送支店に向かった。
こちらは技能系の職員と事務の係長が対応した。現金の輸送とか被災した文化財の救出といったのが業務、社員それぞれの生活では警備という性質から自警団を作って夜回りをしていたそうである。廃墟で若者がたむろして「うんこ座り」しているのが異様だったという話が印象的だった。
話が終わったのは午後三時、そこからタクシーで三宮に向かうと主任研究員は神戸でもう一泊するということで私一人が東京に戻ることになった。空港まではバスではなく、阪神電車と阪急電車を乗り継ぐという形である。阪急の蛍池からは空港まで歩くことにした。ターミナルビルとはほんの目と鼻の先である。
阪神電車に乗るのはタイガースが優勝したとき以来である。特急で地下から地上に上がると線路沿いは建物がかなり減った幹事である。クジラのジャンボから見た薄暗い街もこの風景を見たら納得できた。甲子園を過ぎるともう建物は昔のままとなり、やはりこの付近を境に被害の大小が分かれたのだと感じた。
阪神梅田から阪急梅田、そしてターミナルビルに着いたのは午後五時、A空輸の便が出るのは七時で、とりあえずターミナルで夕食をした。あのクジラのジャンボは北海道に向かうときに羽田で見かけたが、震災で予定より二ヶ月遅れて「普通のA空輸塗装」に戻された。
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