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2019年1月17日 (木)

陽炎(45)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 大阪駅前第四ビルにある私の母校のサテライトキャンパスでは学際的な研究で博士号を目指すコースがあって週二回、そこに立ち寄った。午後七時から一時間半の授業はイントラネットを利用したチャットのような形での意見交換である。学部時代に他の文系学部の講義を受けられる制度を利用して憲法・政治学を高校の社会の延長のような感覚で受講したが、S航空の新規参入がらみで発生した独占禁止法との関連で、法律に関することをやりたくなった。

 経済学と法学の接点として経済法、さらに経営にもからむ会社法・労働法、行政との関連から行政法にも目を向けた。研究所の大先輩でR経済大学の学長になった先生は経済法の数少ない研究者の一人でアメリカの独占禁止法、そしてアメリカの物流を専門としていた。

 チャット形式の授業、それは大学院のほとんどゼミと変わらない少人数授業ではとても有効なものだった。自分のゼミでも参考にしてみたいものの、二十人を超えるとさすがに無理だと思った。「教える立場」と「教わる立場」の両方にあってそれでもこれが近未来の大学、サイバー空間の大学になるのだろうかと思った。

 ネットの活用は紀要で準備しているテーマパークに関する研究でもあった。東京ディズニー・ユニバーサル・スペースワールド・ハウステンボス・シーガイヤのまずは交通アクセスと入場者の推移の相関に触れた。ディズニーはすぐそばに舞浜駅ができるまでは少し離れた浦安駅からのバスでアクセスだったし、シーガイヤにいたっては最寄の鉄道駅から離れているという状態である。スペースワールドは最初は枝光駅、そしてスペースワールド駅が新設、あとの二つも近くに駅を新設という状況だった。

 さらに宿泊施設にも着目した。どれも園内に泊まることは可能である。ただしスペースワールドだけは宇宙飛行士体験のキャンプのみだった。あとは集客力ということになるがこれは圧倒的にディズニーが有利で吸収の三つは苦戦していた。とりあえず夏に出すものに間に合わせるために必死だった。

 五年目の学務は国際交流と入試になった。入試はオープンキャンパスである。私は模擬授業と模擬ゼミをそれぞれ行うことにした。物流産業の受講は175人、観光産業は193人でなぜ観光のほうが人気が高いのだろうと思った。三年のゼミ生は21人引き受けた。さらに古巣が大阪府から受託した「大阪港コンテナターミナル」の調査に関するワーキンググループの座長を頼まれてやむなく受諾した。実際の作業は研究所だが、体がいくつあっても足りなくなるほど立て込みそうなところである。

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