陽炎(41)
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朝六時五十分、枕元にセットされた目覚ましアラームが鳴った。私は枕元に置いたリモコンでテレビをつけ、天気予報を聞いた。四年目が始まってまもなく、北九州空港に関するシンポジウムが行われることになり、私は前日から小倉に入ってステーションホテルに投宿した。シンポジウムの前には講演があり、私は貨物を担当することとなった。
窓のカーテンを開けるとすぐ真下からモノレールが出るところだった。電車は駅からまっすぐ伸びる平和通を進み、隣の駅は歩いてもいける位置だった。駅前の左手にはS百貨店があるが、経営難で閉店したばかりで、右手には昔ながらのアーケード街や歓楽街があった。
シンポジウムの開始は午後一時半だが、その前の講演は朝十時から開始である。私は二十分ごとに与えられた持ち時間の三番目だった。会場はモノレールで十分ほど行った市立大学である。ニュースを見ながら着替えて七時半にはビュッフェスタイルの朝食を済ませた。そしてモノレールの終点まで行ってみることにした。
助教授に昇進して学務は就職から解放されて広報と国際交流委員会を割り当てられた。アメリカ・中国・フランスの大学と短期留学の協定を結んでいたが、さらに広げたいというのが大学の方針である。ゼミも専門は21人受け入れた。物流産業論は社会人も受講ということになって190人が届け出た。
八時前の企救丘のモノレールに乗ると衣替えの前で黒や紺の制服姿の学生の姿が目についた。彼らは大学のあるところよりも手前で下車した。大学のキャンパスは駅のすぐそばで、反対側は競場である。なんともすごい立地だなと思った。終点近くは住宅街で改札を出てみると車両基地とJRのこじんまりとした駅があるだけである。電化されていない単線にホームをひとつ付け足したので、以前は何もなかったのだろうと推測した。
大学のある駅まで戻り、改札を出ると左は競馬場、右がキャンパスという案内があった。モノレールの下は四斜線の道路が走っていて福岡に向かう高速バスの停留所もあった。キャンパスのモノレールに一番近い建物は武道館で、規則正しく竹刀のはじける音が聞こえた。私は高校の体育の授業で触った程度だが、ゼミ生には今も続けている者や以前やっていたという者もあわせて有段者が十人いた。会場は本館の大講堂で、ここは300人入れるそうである。
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