陽炎(39)
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初めての卒業生を送り出す日が来た。一期生は178人でY証券の破綻などで不景気の中、就職率は九割というところである。私のゼミは一人が休学したため、15人が卒業した。四人が運輸関係で引越しのA社、Fエクスプレス、Y運輸、タクシー会社である。二人が私鉄の子会社の流通部門に入り、スーパーのDにも二人、食品のG社、消防士や市役所という者もいた。
謝恩会は大阪駅から少し離れたホテルで行われ、記念撮影もした。ゼミとしての合宿もなく、三年生との交流を兼ねた忘年会程度だったのは自分の力不足かなと思った。四年生の就職先を見て流通関係に研究の対象を広げることを考え、インターネットを活用した買い物の動向を考えた。買った商品の自宅への輸送は結局、交通との関連で考えるところである。
ゼミの選択も二年生の終わりからということになって希望者は25人に増えた。それは物流に限らず、交通全体をテーマにしてもよいこと、旅行業といった観光も対象にするということをアピールしたからである。実際、次の学年の中には旅行会社を考えているものもいた。問題はエアラインの航空券ネット販売のように手数料収入があてにできなくなりつつあるという状況への対応である。
三年目の学務はクラブ・サークルから退いたが、就職はそのままで、広報という業務にかかわることとなった。大学のホームページは事務職員の仕事だが、パンフレット作成という部分で学部を代表する形で委員となった。二年目は大学紀要に投稿しなかったが、三年目はやっておこうと考え、研究所でかかわった廃棄物輸送、いわゆる静脈物流について取り上げようと思った。
物流学会と交通学会は関西部会を行っていて物流は年四回、交通は年十回やっていた。これも若手の発表舞台という側面があって私は何か出してみようと思っていたが、院生の研究や施設見学会、実務家からの報告といったものが目白押しでなかなか入れる機会が得られなかった。実務家の話のほうが学究よりも興味深いというのも高いハードルである。
六月には住居を堺市の上野芝駅近くに移した。通勤の距離は少し遠くなった感じになるが、天王寺・大阪と二つの主要ターミナルを通る経路は就職係としての企業訪問や学会の部会出席でも便利になった。こんな位置なら大阪南部の大学もいいのではないかと先輩教員から言われた。望めるなら母校でやりたいところだが、もぐりこむには運が必要だった。
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