陽炎(19)
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阪神大震災の調査では、まず本社の各部からの聞き取りで、すべての部署を回った。一方で、従業員へのアンケートについても広報部を通して神戸地区の支店から1000人を対象にするという通達を出してもらった。担当者名は私が一番前につけられた。とりあえず出張を伴うのは鉄道貨物のみで、大阪と福岡のヒアリングをいつやるのかが問題だった。
本社内のヒアリングは十月中に片付いた。十一月の頭には鉄道貨物ので福岡に飛び、N社だけでなく、鉄道利用運送をしているF社とZ社にも行った。この調査は研究所の名詞ではなく、運輸省の外郭団体のメンバーという触れ込みである。札幌と八戸のときも同じだった。
次に大阪の鉄道関係に行ったときは震災のこともあわせて尋ねた。その出張はチケットショップで手に入れた羽田・伊丹の格安チケットを使った。震災では大阪の宅配便や航空貨物の営業所にも行った。これで残すのは神戸および従業員で、出張から戻るとひたすらワープロ作業である。
O産業大学から文部省に提出する資料の訂正が必要かどうかの案内が来た。夏の段階で出した資料は入社一・二年目までのものしかなかったが、山口県の航空貨物が上半期で終了し、交通学会での発表も終わったので追加した。こうした郵便物のやり取りは一般の社員のように独身寮だと発覚する恐れがあった。
十二月に入って神戸支店・神戸警送支店のヒアリング調査を行うことが決まり、前日から泊まって一泊二日というスケジュールになった。警送とは現金や美術品などを扱う部署である。アンケートは配布が十一月で回収は十二月の半ば、そのあと誰にヒアリングするのかは内容を読んで決め、広報部を通して支店に協力依頼という流れである。
震災以降、大阪に帰省はしても神戸に足を踏み入れるのは初めてだった。移動はまたチケットショップの航空券を使っての飛行である。行きはA空輸が満席でJ航空、あの事故と同じ十八時発の便である。伊丹に着くとリムジンバスで神戸・三宮に向かった。主任研究員は別の用件で大阪入りしていてWホテルで落ち合うこととなった。
バスは阪神高速の倒壊現場も通ったが、外はよく見えなかった。半球三宮駅の電車が百貨店二階に入る独特の姿が消えてしまったのはわかってやはりないんだなと思った。ホテルまでの路地を歩くと震災の爪あとを感じた。壊れた壁、更地になってしまったところ、夜が明けたらどんな光景なのだろうと思った。
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