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2019年1月13日 (日)

陽炎(37)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 二年目の物流産業論は186人が受講届けを出した。ゼミには13人が入って付属校の出身が半数となっていた。学務のほうはクラブ・サークルに加えて就職も担当することとなった。就職相談室に週一回詰めるというところである。それは火曜日の昼休みから三時限目にかけてだった。学部時代に就職活動をしたことのない私には履歴書の書き方とか面接の受け方というのは未知といっても過言ではなかった。

 妻の妊娠がわかって出産は実家のある堺市かなという方向になった。とにかく十月には交通学会で「航空規制緩和と貨物航空会社」というテーマで発表することとなり、その準備も必要である。先輩教員からは「博士号」を取っておくのが重要ということもアドバイスされた。とりあえずは修士論文に加えて学会誌掲載論文四本で助教授の資格はできたが、昇進には専任講師三年という年限もあった。

 著書の校正も始まり、出版の予定は十月という方向が示された。来年度のテキストにするというのが至上命題である。研究室では作業がなかなか進まず、自宅で夜や休日にやるという状態だった。父を見て大学教員の仕事はよさそうと思ったものの、やってみるとイメージとは違うものだということを痛感した。博士論文のテーマをどうするのかは交通から少し守備範囲を広げないといけないとも思った。

 六月には付属の中学・高校で出前授業を行った。どちらも征服は紺の生地にファスナーという海軍士官のような格好だが、夏場は上着がなく、上は白のカッターシャツである。付属校の校舎はオレンジ色のタイルに覆われ、スポーツ施設が充実していた。中学・高校とは剣道・サッカーが強く、野球・ラグビーにも力を入れていた。

 八月にはオープンキャンパスが行われ、初めて体験ゼミを行うことになった。研究室ではなく、小教室で宅配便の話をしてみた。生活に身近なところから入るのがいいかなと思ったが、聞きに来たのは八人にとどまった。高校生の関心は食堂やスポーツ施設といったところが多いようである。

 物流学会は関西部会には出たものの、東京で行われる大会には出なかった。今年は交通に集中するということもあった。物流のほうでは理事の選挙が行われ、私の名が関西のほうに入れられた。研究所とかで組織的に投票された黒幕は奈良にいる先輩ということである。それはそれで責任を少しずつということと理解した。まだ三十歳そこそこの若造だが、この分野を将来支えていく一人なのである。

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