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2019年1月11日 (金)

陽炎(33)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 O産業大学の新しい学部の建物は赤レンガの八階建てで、四階から上がゼミの小教室や教員の研究室があった。私の研究室は四階にあり、幅三メートル奥行き七メートルの空間である。窓からは淀川が見えた。両側の壁に本棚を置き、ドアの脇には洗面台、机と椅子は窓に向けておき、部屋の真ん中には長テーブルとパイプ椅子で簡単な応接が出来るようにしていた。研究所時代の大部屋から個室になって出世したような気分にはなるが、うっかり女子学生と二人きりになる事態には気をつけるようにと先輩教員から忠告された。

 一階には学部の事務室があり、教員の出勤簿やメールボックスはここにあった。教務や学生の係などは本館のほうにあって水曜の午後の教授会や各種委員会は本館にある会議室で行われた。私は学生係のクラブ・サークル担当を割り当てられた。体育科の先生が主務で、私は副務、それに学生係の職員が二人ついた。試合に伴う欠席届などに確認の印鑑を押すというのが主な役目である。O産業大学は野球・ラグビー・サッカーで関西の強豪のひとつとなっていた。

 物流産業論の受講生は185人、学部の定員は240人であるが、三年になったのは190人にとどまっていた。必修でないにも関わらず、航空・鉄道・海運の話は面白そうと尾も割れれたのかなと思った。二階にある大教室は250人の収容が可能だった。まずは研究所時代に関わったテーマの話から入った。福岡市からの委託調査で50ノットの貨物船というのが一番印象に残ったもの、そして阪神大震災のときのN社員の体験談調査というところである。

 三年生のゼミは最初は入れ替わり立ち代りで話を聞き、どこに所属するかということを決める形である。四階の小教室には述べ三十人が現れ、最終的には十七人が私のゼミに希望届けを出した。付属の高校出身者が四人で大阪府内の高校が六人、京都二人、奈良・兵庫・広島・愛知・香川から一人ずつだった。運動部も多く、野球三人、ラグビー二人、サッカー・テニス・剣道という具合である。

 一・二年生のゼミは他学部との交流というのが大学の方針で、法学部・国際学部との合同となった。それぞれ十五人ずつを引き受け、三つの学部が五人ずつというところである。とりあえず一年生には大学生活とレポートの指導、二年生には専門・さらに就職に向けての作文指導ということにして二年生にはワープロでレポートを作成するように推奨した。一年生の場合は手書きを認めて「十年後の自分」「生活の上で感じていること」を、二年生には「阪神大震災の体験」「卒業後の進路」というテーマを与えた。

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