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2019年1月10日 (木)

陽炎(31)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 冬のボーナスの出た翌日に私は室長に「退職願」を手渡した。日付は三月三十一日である。室長も特に驚く様子はなく「鉄道貨物専門のシンクタンクを作る話があって二年ほど派遣して欲しいという話があったけど、辞退させてもらうことになるね」と言われた。そんな話があるのは初めて聞いた。詳細はもう関わりのない話なのであえて聞かなかった。

 退職願の話は一気に所内に広がってたが、峰岸や深井も「やっぱり」という反応である。深井も遠からずと見られていて国際物流に関する論文を出していた。所内に置いている報告書は大学の研究室に宅配便で送ることになるが、小岩の家の片付けも必要だった。とりあえず結婚式は移ってからの話であるし、どこに住むかというのも未定なので親の実家に仮住まいして大学に通うという形だった。

 職場での文書作成はF社のワープロからパソコンソフトのワードというソフトに切り替えが始まっていた。最初は上房システム部が平成八年からそれまで使っていた「一太郎」という日本語ワープロソフトから乗り換え、物流技術部も翌年に続いた。新年度から経済研究部と経営コンサルティング部もワードにシフトすることが宣言された。管理部はF社のままだが、それがいつまで続くのかわからなかった。経理の伝票も手書きからパソコン化することが情報システム部によって始められていた。

 正月の帰省では婚約者と住吉大社に初詣した。大阪市の南部ならば住んでもいいかなという話も出たし、六月に身内だけで挙式、二次会で互いの知人を招き、新婚旅行は大学が波休みに入る頃というように決めた。南海電鉄の高野線から天下茶屋で乗り換えて阪急へと通じるルートに変更するという案である。とりあえず大学には最初実家から通い、六月に結婚して新居からという申請をしないといけないなと結論づけた。

 北九州の仕事は福岡空港経由で行い、最後の記念に300キロで走る「のぞみ」で東京まで戻ることにした。四時間半あまりの旅は福岡に一度逆に戻ってから夕食をして飛行機に乗るのとそんなに大きく変わらないようなところである。三月になると新年度から導入される「目標チャレンジシート」なるものが配られたが、私は対象外となっていた。出張の精算も新年度からはホテルの宿泊費は領収書添付で役職に応じた金額との差額支払いはなくなるというシビアな環境になることとなった。有料テレビを使ったりするとそれも明細に入るので気をつけるようにとお達しがあった

 

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