陽炎(40)
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物流学会から「シベリアランドブリッジ」の研究報告へのコメンテーターを頼まれたときは当惑した。日本の鉄道貨物ならば自信あるが、ロシアの知識ならば峰岸のほうがというのが本音である。それでも新しい知識の吸収と割切って引き受けた。自分もそれならとシベリアよりも短いチャイナランドブリッジについて調べていくことにした。
新しいゼミ生の中に海外の鉄道貨物輸送に興味を持つ者がいた。とりあえず中国のことをレポートさせるということで自分の研究に利用である。これはスーパーの宅配というのにも応用した。まだ店舗で注文を受けて配送という形の段階で物流センターからというような形はできていなかった。
物流学会では、シベリア鉄道の老朽化した施設を日本の支援で近代化していることや日本企業のロシア進出、特に自動車メーカーによる工場という話が興味深かった。発表したのは運輸企業の人でシベリアランドブリッジに早くから携わっていた人である。課題としてはチャイナランドブリッジとの競争とその人自身があげていたので、私の研究にも参考になった。
交通学会のほうは翌年は私の母校で開催されることとなり、なんとしても報告をしようと意気込んだ。テーマはもちろん「チャイナランドブリッジ」である。航空券直接販売から四年ぶりの報告でもあり、教授への大事なステップでもあった。とりあえず十一月のオープンキャンパスの模擬授業ではシベリアランドブリッジとチャイナランドブリッジのことを取り上げた。もっとも高校生は住人くらいしか聴きに来なかった。保護者や教員は二十人くらいである。
ゼミの二期生は十七人で、六人が運輸関係に進んだ。女子一人がD航空の客室乗務員に、あとはFエクスプレス・タクシー・バス・Y運輸にN社の警備輸送である。流通にも二人入ったし、警察官に採用された者も出た。とりあえず警察に入る者には大学のパンフレットに卒業生の声として出てもらうことを頼んだ。
年が明けて峰岸が研究室を訪ねてきた。元同僚が来たのは始めてである。研究員からひとつ上がって研究主事となり、相変わらずいろんなテーマに関わっていた。大阪の鉄道コンテナ基地でヒアリングしたついでに立ち寄ったと彼は言っていた。研究室の長テーブルで紅茶を出した。関西で委員会を設置するようなことがあれば宜しくと言って帰っていった。
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