陽炎(28)
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県庁での仕事が終わったのが午後三時過ぎである。地下鉄で空港に移動したのが午後四時で帰りの航空券はD航空が導入して間もない777の便を選んだ。夕食もあるということでエコノミーよりワンランク上の座席を2500円出して乗ることにした。一番高いのは4000円だが、さすがにヒラの研究員には見分不相応と感じた。日本で初めて国内線に三つのクラスが導入され、一番下のクラスでもすべてのシートにテレビがついたというのも宣伝文句である。
二度目の777は白い機体に虹色の帯を巻きつけた塗装だった。エコノミーは窓側と通路に面した部分がほぼ埋まっていたが、私の乗るミドルクラスと一番上のクラスは窓側だけしか埋まっていなかった。前のシートの背につけられたモニターを見ながら安全のためのガイド、そして離陸滑走の画面を見た。
南向きに離陸した777は暮れなずむ市街地の上でぐんぐん高度を上げた。空はだんだん暗くなり左旋回で見下ろした久留米の街はもう夜景である。おしぼりに軽い食事が配られ、私は窓の外に点々とちらばる明かりを見下ろしながら食べた。大阪と神戸の夜景も見ることができたが、もう依然と変わらないところまで回復していた。
交通学会に出した「インターネット時代と航空券直接販売の将来」というプロポーザルが採用されたという通知が来た。代理店がどう対応すべきかということについては、結局ツアー商品を魅力的にするということでクリアした。N社からのテーマとしては創立70年を迎えたことで社史やホームページの製作が始まっていたが、これは関わりがなかった。社史は季刊誌の編集部が請負、ホームページは情報システム部の仕事である。ホームページでは宅配便の追跡機能をつけるということが求められた。伝票の十二桁の番号を入れて検索すると、受付た状態、輸送中、最寄の支店到着、配達中、到着済みという段階が表示されるのである。
北九州の仕事では地元の公立大学の先生を委員長にして新空港に関する委員会が設置され、私は貨物部会に割り当てられた。七月に第一回、十一月に第二回、最終は三月である。北九州の仕事は最初こそ北九州空港を利用したが、以後は福岡空港経由で入ったり、大阪から新幹線で小倉へというような状況になっていた。
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