ラスト昭和(13)
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四段の審査も大相撲が行われる体育館だった。敦は無事に合格したが、算段までと違って率は下がっていた。特に年配の人には厳しいように見受けられた。吉野は結局見送ったが、社会人になると早いうちに受けたほうがいいと感じた。
十月一日に内定者全員が受けさせられたTOIECという英語能力テストの結果は一ヶ月たって送られてきた。敦のスコアは大学卒業の新入社員の平均400を少しだけ上回る成績だった。海外出張には600、大学留学には730、大学院は860が目安になるとあったが、海外事業をしている会社でないのが幸いなのかなと思った。
三商大は今年は主催校として臨むことになった。会場は教養部内の体育館である。他大学の剣士も立て看板やヘルメットにタオルで顔を隠した「門番」を見ることとなった。それが心理的にどんな影響があるかだが、いつもK大の優勝に終わった。
まずK大と敦たちが対決した。敦は大将で五勝五敗四引き分けで回ってきた。相手の大将の三年の新キャプテンである。敦は面抜き胴で一本勝ちして優勝の可能性を引き寄せた。I大学に対しては六勝二敗六引き分けで回された。向こうは守りに入っていたが、敦は攻め崩しての逆胴と抜き胴を決めて結果を待つことになった。
女子はKが優勝で二位がIとなった。KとIの対決はKが九勝をあげたため、優勝はKに決まった。
天皇陛下の病気ということで、いろいろな催しが自粛されていたが、この試合のセレモニーも簡素なものだった。昭和がいつ終わってもおかしくないという雰囲気で優勝の賞状も「昭和63年」ではなく「1988年」で作られていた。
三商大が終わると敦は道具を引き上げた。稽古の場所も家の近くの小学校時代から通った道場に・・めというところである。免状は大学で受け取ることになるが、それは二月の追い出しコンパのときになるのだろうと聞かされた。免状の日付はたぶん昭和最後、64年は来るのかどうかと言うのは不謹慎として批判されかねなかった。
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