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2018年12月30日 (日)

陽炎(14)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 室長が会場のロビーに現れたのは一時過ぎだった。「こだま」で時間がかかってしまったということだった。外郭団体の事務局の人も「一瞬、羽田と名古屋の飛行機はあったのかな」と言っていた。大阪に実家があるという局員の人は近鉄名古屋線を利用したそうである。会議は予定どおりに始まって二時間後に終了した。

 ロビーに号外が置かれていたので手に取ったら横倒しになったクリームと赤の阪神電車とすぐそばで燃える住宅の写真が目に飛び込んだ。これは大変だと思って紙面に目を走らせた。既に1000人近い人の死亡が確認され、阪神高速道路の高架が横倒しになったり、バスが桁から転落寸前の状態で止まっている写真があった。

 名古屋駅に着いたのが午後四時過ぎで、運転は「こだま」のみ、京都までは再開した。旅行の中止をお願いしたいというアナウンスが繰り返されていた。私たちは東京に戻らないといけないので、改札をくぐった。ホームの人影はまばらになっていて非常事態で予定をキャンセル人が多いことを感じさせた。

 東京まで三時間かかった。「のぞみ」も「ひかり」も運転していないのにダイヤ通り、各駅で退避のために四分程度止まったためである。自宅に戻るとテレビニュースをつけて最新の情報を得るように務めた。大阪の実家は問題なかったのかとりあえず夜九時過ぎに電話して問題ないことがわかった。

 それから毎日、死者の数は増え続けた。JRは新幹線・在来線ともに被害を受け、東西の交通が遮断された。私鉄も被災して加古川や姫路から大阪に通勤することは不可能になった。高速道路も一部を除いてで通行できるが、通れないところでは迂回する必要が生じて大渋滞が発生した。

 鉄道貨物の委員会は二十日に予定通り行われた。とりあえず、札幌と八戸のヒアリングをすることとなったが、実施できるのは二月以降というところである。運輸省自体が震災対応でてんてこ舞いの状態であり、最後の委員会の日取りを決めて散会した。二十一・二日も職場に顔を出してひたすらワープロ作業である。

 神戸市から受託した空港の貨物施設の調査を峰岸がやっていた。ヒアリングの話を電話でしていたら「こんな時期にやっている場合ではないだろう」と言われている雰囲気だった。私の福岡の調査も果たして予定通りに対応してもらえるのか不安が広がった。とりあえずヒアリング先への手土産は羽田で購入しておくということで主任研究員と話がついた。

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