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2018年12月 6日 (木)

青春の影

青春の彷徨から タイトル変えました 「文化・芸術」をご参照ください m(_ _)m

 トンネルを抜けると線路は緩やかな右カーブだった。速度は100キロ・95キロと徐々に落ち、上を高速道路が横切った。前方に小倉駅のホームが見えた。本線側を進み、ホームの端で60キロ、停車位置までは200メートル、ドアの所定位置より三メートルほどオーバーランして止まった。

 博多車両基地でのシミュレーターによる訓練が始まったのは四月である。住む場所も基地の近くのアパートだった。勤務は研修期間ということで事務系と同じ時間帯である。部内試合ではAチーム復帰はならずBチームの副将ということになった。稽古場所は近くの小学校で夜に週三回という会である。

 小学生の稽古は六時半から、七時半からは中学生以上、基本に試合稽古という具合である。福岡市の南に隣接した市には陸自・空自の駐屯地があり、JRも車両基地を持っていた。五月には地方実業団の大会があってJRの連合チームに急遽かつぎだされた。三社の合同で清二は中堅だった。

 相手はいきなり拘置所だった。先鋒は貨物の機関士訓練生で、面二本負け、次が九州の車両整備の若手、小手で一本負けした。清二は互いに有効なしの引き分けに持ち込んだが、副将に入った品川は銅を取ったものの逆転まけした。大将は貨物で引き分けに持ち込んだ。

 月に一回行われる合同稽古にも参加して電力や銀行などの剣士とも稽古したし、夏には九州が主催する少年剣道大会を手伝い、小学生の部の審判をやった。八月に行われる五段の審査は秋の市民大会に出たいという気持ちや稽古が不十分という理由で辞退した。

 グループの大会は予選で貨物・T社のAとあたった。貨物には前三人が二勝一敗で回ってきた。清二は面と小手を決めて勝ちを確定させた。T社には一引き分け二敗で対戦することとなり、清二はオレンジ色の胴に一撃を加えたが、自分も胴を抜かれて引き分け負けが確定した。

 秋の市民大会では中学一年の部での審判を依頼された。この地区には件大会で上位に進む学校があり、レベルは相当高かった。六十人による個人トーナメントをこなすと二十代男子に出た。こちらは十六人でのトーナメントという形である。

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