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2018年12月18日 (火)

ラスト昭和(8)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 新大阪駅の20番ホームで博多行き列車の車内清掃が終わるのを待つ敦たちの真上を大阪空港に着陸するジャンボジェットが通り過ぎた。四つのエンジンから轟く音がハラワタを揺さぶった。五月の末に福岡で行われる西日本学生大会に出るため、新幹線で移動するところである。

 三年の時は先鋒で出場して熊本の大学に一回戦で破れた。敦は面で一本負けしてチームの出鼻をくじいてしまった。今年は大将として臨むことになっていた。行きは昼過ぎに博多に到着する列車で、帰りは午後七時に博多出発、奈良まで戻るのは深夜になる見込みである。

 車内清掃が終わってドアが開いた。一同は指定席に乗り込んだ。生協で手配したのだが、この列車は航空機との対抗として普通車でも横四列というゆったりを売り物にしていた。途中停車は岡山・広島・小倉でこれも航空機に対抗するためである。敦はA席で、隣には吉野が腰を下ろした。

「電鉄受けるためかい」

 防具袋から交通経済論の先生の著書を取り出した敦に吉野が声をかけた。それは「日本の私鉄経営」というタイトルで、先生の研究テーマであった。授業では国鉄改革がテーマでこちらに関する著書は先輩から譲り受けた。今読んでいるのは図書館で借りたものである。

「業界研究もしないとね」

「グループ面接は目立ちすぎず、おとなしすぎずがポイントみたいだよ」

 先輩から聞いた情報では電鉄が動くのは六月ということだった。すでに総合商社やメーカーの一部が学生と接触を始めているようだったが、銀行・保険はまだである。吉野は金融を軸に考えていると言っていた。

 山陽新幹線は高校の修学旅行以来二度目である。奈良から京都までバス、そして博多まで新幹線、九州では大宰府、長崎、阿蘇、別府と回って小倉から新幹線で京都という行程だった。

 大阪平野から六甲トンネル、新神戸を通過していくつかトンネル、明石から姫路にかけて平野、いくつかトンネルを抜けて岡山に、平野部、トンネルと繰り返して広島、またトンネルを出たり入ったり、徳山の石油コンビナートではカーブのためかスピードが少し緩み、新関門トンネルを抜けると小倉、またトンネルに入り、出たり入ったりを繰り返すうちに博多到着となった。

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