ラスト昭和(7)
前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m
三回生で卒業に必要な単位はほぼそろえることができた。可が多いという突っ込みを受けるにしても・・・。四年で受講届けをしたのはパソコンをいじって判例検索を行う「法とコンピュータ」N証券の寄附講座「証券取引法」経済学部の「交通経済論」そしてゼミである。
四月には新入生の勧誘が恒例だが、男子七人、女子三人が入った。何人残るのかが気がかりであるが、男子の一人は高校の二学年下の者で浪人して医学部に入った。医学部は教養の単位を完全に揃えないと三年にはなれなかった。理由はキャンパスが離れているということである。医学部は試合では別枠があった。
四月の末には府立大と和歌山のW大学との三大学戦が行われた。これも男子十五人、女子五人という形である。敦は二年生で先鋒、三年では中堅を務め、三勝一引き分けという戦績である。最終学年となって大将として出場した。府立とは六勝五敗三引き分けで回ってきて焦り気味の相手から面返し胴を二本奪って勝ち、W大戦は六勝六敗二引き分けとプレッシャーのかかる戦いで小手返し面を決めて三年連続の優勝に貢献した。
このころから銀行や保険に入った卒業生が夜に電話をかけてくることが増えた。水面下での接触を他が始めているのか、どんなところを考えているのかをさぐっているみたいだった。敦は既にK電力や鉄道関係の業界セミナーに顔を出していた。どうやらこれは体育会関係の学生の囲い込みかなという感じはした。
五月の連休明けには関西学生選手権が行われた。会場は大相撲も行われる体育館である。セミナーでみかけた者もいたが、それは国立大と四つの有名私立大学のみである。団体は五人制で大将に入った。初戦はO産業大で、二勝二引き分け、敦は無理をせず相手が面に来たのを返し胴で二本とした。
次のK産業大は強豪のひとつだった。一勝二敗一引き分けで敦が二本取らなければ次に進めないという状況だった。結果は小手一本での敗北である。個人のほうはまずO外国語大の選手に小手から胴への技で一本勝ち、二回戦はR大の選手で小手一本ずつで延長になったが、面返し胴が決まって勝ち残った。次がD大学の選手で面と小手を取られた。この相手が関西を制覇して全国に進んだ。
| 固定リンク
コメント