ラスト昭和(5)
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三大学の選手が一同に会してのセレモニー、昼食会を経て午後一時から試合がはじまった。武道館はコートが二つ取れるので、男子のK対I、女子は敦たちのところがまずKと戦った。KとIの試合はKが八勝五敗二引き分けだった。女子は敦たちの大学がK、I両方に敗れて最下位が決まった。
男子の次の試合は敦たちとKである。前の七人が二勝三敗二引き分けで回ってきた。敦が得意な面返し胴は決まらず、小手から胴への切り込みで小手を打たれて一本負けした。後ろの七人は一勝五敗一引き分けである。K大学の強さを今年も思い知らされる形となった。
Iとの戦いは四勝二敗一引き分けで回ってきた。敦は相手が積極的に仕掛けてくるのを冷静に対応して出小手と面返し胴でストレート勝ちした。後ろは三勝二敗二引き分けとなり、敦たちは二位という結果だった。終わると一時間ほど合同稽古をして解散となった。死刑の針は午後五時を回っていた。
I大学の一行は新神戸駅に向かって新幹線に、敦たちは阪急六甲から帰途についたが、明石や神戸市の西区から来ている者はJRの駅に行った。二人とも通学はJR利用である。敦は梅田駅の地価食堂街で夕食をして解散した。
「就職はどうするんだ」
大阪駅の環状線ホームで商学部三年の吉野が敦に尋ねた。彼は福岡県に実家があり、阪和線の我孫子前の近くに住んでいた。大学までは徒歩で十分程度の場所にあるアパートに住んでいた。
「警察とか市役所を受けてみようかなぁ」
「景気も回復しているし、民間企業も考えてみたら」
「どんなところを考えているんだ」
「金融・保険を中心に、でもいろんな業界を当たってみるのがいいよ」
「福岡の企業は考えているの」
「受けに行くのがちょっとねぇ。西日本大会のついでにというのもなかなか」
話を続けるために外回りの電車に乗り込んだ。
「大きなところだと全国どごにでもという覚悟がいるかもなぁ」
敦はまだ地元にいるか全国を飛び回るようなところに行くのかはっきりとは決めていなかった。次男ということでどこにでもというのはあるが業種はまだイメージしていなかった。実業団で剣道部がある会社ならば考慮してもいいのかなという程度である。
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