ラスト昭和(4)
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十一月に入って行われた関西学生新人大会は団体・個人ともに一回戦で敗北という不本意な結果だった。団体は大将として臨んだ。相手は京都にある私立のR大学である。中堅が引き分けたものの、三人が敗れて負け確定で回ってきた。敦は思い切って挑み、小手から胴に切り込んで一本勝ちした。
個人の相手は強豪O体育大学で副将を務めている選手だった。背は低いがどっしりした体型である。敦はいきなり合い面で取られ、二本目は小手・胴に切り込んだが、審判の旗は一本だけだった。かなりいい音はしたのだが、相手の太い胴はびくともしないように見えたのだろうと後で言われた。そして面を取りに出た瞬間に胴を抜かれた。上半身と下半身を両断されたと思うほど強烈な一撃だった。
十一月最後の日曜には三商大戦が行われた。敦たちの大学と神戸にあるK、東京のI大学は戦前派商科大学と呼ばれ、体育会だけでなく、文化サークルやゼミでも交流をしていた。こちらは男子が十五人、女子五人の団体試合という形である。敦は二年の時は先鋒として出場した。主催はI大学で、修学旅行以来の新幹線だった。I大と互いに有効なしのは引き分け、K大学戦は面で一本負けだった。
朝九時に阪急梅田駅の下にあるK書店のスクリーン前に集合した。ここがキタの待ち合わせスポットのようである。男子は四年生四人、三年生六人、二年生五人がメンバーである。女子は四学年合わせて九人で、四年生と三年生が二人、二年生が一人という構成だった。
阪急神戸線は特急と普通が十分に一本ずつというダイヤだった。特急が出た後に普通が出発する形である。特急は西宮北口のみに止まり、ここで普通に乗り換えてK大学のある六甲駅に向かうことになった。チョコレート色に塗られた車体と内装が木目のシックな電車で、いつも使っている電車に比べると客層も垢抜けた感じだった。
梅田駅は神戸・宝塚・京都の三方向の起点であり、電車は九本並んだ。発射すると三つの複線となり、淀川の鉄橋を渡って十三である。ここでそれぞれの方向に分かれて進んだ。六甲の駅は真ん中に通過用の線路があってその両側にホームと停車用の線路があった。一同はバスに乗り換えて大学の正門まで上った。この坂道を毎日歩いているから足腰が自然に鍛えられていると四年の先輩が言った。三商大はいつもK大学が優勝していた。
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