ラスト昭和(3)
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先に攻めるのは相手側だった。いきなり三遊間を破られ、次のバッターはピッチャーフライに討ち取ったものの、三番にはセンター前に運ばれた。四番は敦の頭上をライナーで抜き、レフと線を転々としているうちにランニングホームランで三点リードされた。そのあとも満塁にされたがラストバッターの女子がピッチャーゴロでチェンジした。
裏の攻撃は三者凡退に終わった。二回表はツーアウトを取ってショートゴロが送球ミスで出塁を許して四番に回った。今度はライト前に運ばれて一・三塁になったが、五番は三振に討ち取った。敦はセンター返しを意識したが、打球がフライになった。五番がショートへの内野安打で出塁したが、あとの二人もアウトになった。
三回にはソロホームランで一点を失い、裏も得点なし。四回にはまた四番からタイムリーをやられて、差は六点となった。二度目の打席は三塁にランナーがいる状態で敦に回ったが、ファーストへのファウルフライに終わった。五回には十点差がついて規定によりコールドとなった。
少し早めのランチは370円の日替わり定食を選んだ。食堂は南向きの大きなガラスが普通の建物の二階くらいまである作りである。定食はご飯・味噌汁に大皿と小皿、小皿のないものは50円安かった。ゼミ生固まってのランチの話題は卒業後の進路だった。四年生は二人が司法試験を受けていたが、二人とも二次試験で涙を飲み、留年して捲土重来を期すとのことだった。公務員が大阪府・近畿運輸局・和歌山市役所、大学院に進むのが一人、企業に入るのが、H製作所・N生命・F火災・M電器である。
ランチのあとは書籍部を覗いた。剣道関係の雑誌はなく、ゼミ仲間に何人かいる鉄道ファン向けのものは置かれていた。五時限目の時間帯にクラブをやることになっているが、それまでどう過ごすかが問題だった。三年生のうちに卒業単位がそろえられるように受講できるものは全部届けていたが、ソフトボール大会のために法学部の講義は休みである。文系の他学部は20単位まで認められるのだが、敦は特にいれてなかった。部の先輩の情報では経済学部の交通論がいいと言われていたが、この講義は隔年ごとで受けるとしたら四年になってである。
図書館にも寄って三時半に教養部に移動した。入り口には「関西新空港建設阻止」の立て看板にヘルメットをかぶり、顔をタオルで隠したC派の活動家が門番のように立っていた。大学紛争の遺物がとても異様だが、敦は視線を合わさないようにして中に入った。武道場は教養部の東にあり、テニスコートや体育館に隣接していた。敷地の外は道をはさんで市営地下鉄の車庫があり、出入りする車両がレールをきしませる音をたてていたが、春に地下鉄が延伸されて車庫も移転した。
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