ラスト昭和(14)
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昭和64年が明けた。初詣は春日大社、二日は高校の稽古初めに顔を出した。同期は県庁に入る者、理系だが銀行に入る者、高校の教員になる者とさまざまだった。そして七日の朝、昭和の終わりが報じられた。街は一気に沈んだ空気が漂った。
大学には十日になって足を運んだ。本館は夏休みに外壁が改修されてクリーム色に化粧直しされ、時計のある中央のガラスは熱戦反射ガラスになって鏡のようにきれいになっていた。
ゼミ仲間の中には卒業旅行に出かける者が多く、大阪・北京の航空路線が出来たのを利用して中国に行く者、ヨーロッパの鉄道フリーパスを利用して一ヶ月も旅する者という具合である。敦はパスポートを取得するでもなく、ちょっと九州に足を運んでみようかなというところである。
卒業式の前に部の「追い出しコンパ」が行われた。開会のときに師範から免状を渡された。日付は昭和63年の合格した日である。
「じゃあ、次は平成4年になるようにがんばってください」
パラパラと拍手が起こって敦は「剣業一如」でがんばると応じた。それはK鉄道の剣道部のモットーで、もう部のほうから話は来ていた。
「そっちはどこ勤務なのかわかるの」
敦は吉野に尋ねた。彼は大阪を引き払っていったん福岡に戻っていた。
「神奈川県の太井町の寮に荷物を送れという指示だった」
「会社の剣道部には入るの」
「いやぁ、なんとも・・・」
その返事にこれは離れるつもりかなと思った。めぐり合わせがあればまたやることもあるかもという言葉は出さず、宴は続いた。
ここでといたします
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