ラスト昭和(12)
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夜は精進料理にビールだけついた。四年生は進路のことを発表した。九人のうち、一人は司法試験のために留年、一人が大学院に進むために受験、指導教員は引き続いてである。残り七人は地方公務員の結果待ち三人で、二人は地方銀行から内定をもらっていた。そして四人の行き先は敦のK鉄道、S銀行、F火災、M電器である。
十月末のソフトボール大会のことも話に出たが、主力は三年生である。そして男女分けての部屋割りで一夜を明かしたが、宿坊では朝五時から「お勤め」という行があった。参加は自発的ということだが、起きれたら出てみるという感じである。敦が目覚めたのは午前四時半で、便意が強かったためだった。
まだ静まり返った宿坊の二階の手洗いには「個室」が三つ並び、ひとつは戸が閉まって中からリズミカルな音と少し荒れた息遣いがしていた。煩悩は怖いものだなと思いながら入り、和式の真ん中から少し後ろの穴に校門の位置が合うようしゃがんだ。かなり太くて長い塊が出て「ヒューーーー、ボタァァァァン」と宿坊に響き渡った。
朝食は朝七時半で九時には出立した。三年のときは奥の院観光をして帰ったが、午後からのクラブに顔を出したいので、高野山行きのバスに乗った。ケーブルカーで極楽橋に降りて難波行きの急行に乗って三国ヶ丘で阪和線に乗り換えた。駅前の食堂でランチをして武道場に着くと吉野が着替えているところだった。
「高野山どうだった」
「あちらは秋が早く来てるなぁ。十月一日はどんな指示があった」
「うちはまた東戸塚の研修センターに行く。今度は内定者全員が集まって一泊するんだって」
「俺のところもそうだ」
四段審査を念頭に剣道形をすることになった。吉野も四段を受ける資格はできたが、受けるかどうか迷っているようだった。F生命にも剣道部があるので、就職してからでもいいかという気持ちと稽古の絶対量が減る前に取ったほうがいいというジレンマを抱えていた。
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