ラスト昭和(11)
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9月5日の面接解禁日は実質入社意思確認日のようなもので、敦はK鉄道の本社に行き、観光バスで橿原神宮に連れて行かれた。拘束は一日だけで、そのあとゼミ合宿で一泊二日の高野山行きとなった。三・四年合同のゼミで三年が発表ということである。例年高野山の宿坊が使われた。
集合は難波駅のロケット広場だが、直接高野山に向かうのも可能だった。集まったのは十一人、先生は京都に住んでいるので、こちらに来ることとなっていた。ロケット広場にはN2型の実物で長さが35mもあった。一堂は9時50分に出発する特急「こうや」に乗ることとなった。全席指定で運賃プラス特別料金である。
難波駅は和歌山に向かう本線と高野山に向かう路線でホームが九本あった。一番端から四両編成の赤と白に塗られた「こうや」が出ることになっていた。敦はS銀行に内定した者と並んで座った。発車するとすぐ右にホークスの本拠地である大阪球場があり、しばらく和歌山への本線と並走した。
隣の者との会話はどんな接待を受けたかである。かなりのアルコールを飲んで酒の強さを見られたなと言い合った。紀伊山地にある林間田園都市を出ると線路は複線から単線になり、橋本を出ると山の中に入った。時速100キロで大阪平野を突っ走った「こうや」は30キロくらいのペースに変わった。
極楽橋に着くと隣のホームには四両編成の急行が止まっていた。こちらは運賃だけで乗れた。和歌山から来ている者はもちろん、岸和田や泉北ニュータウン周辺に住む者はこれを選んだ。彼らは「こうや」の到着をケーブルカーへの乗換え口で待っていた。赤と白に塗られたケーブルで高野山駅に上がるとバスに乗り換えて町の中心部に移動した。
食堂で昼食をして金剛峯寺の近くにある宿坊に入った。まず大広間で三年生三人による発表である。「ワイセツ文書」では野坂昭如が取り上げられた。この人は一年のときに大学祭に呼ばれて講演もしていた。「ソ連の刑法」では経済犯罪で死刑になった事例や同性愛は自然に反する行為として処罰対象ということが紹介された。先生はソ連の刑法にも造詣があった。「交通安全に対する罪」では汽車・電車転覆でガソリンカーは?となった裁判から航空機の登場を想定していない明治時代の刑法の問題点、そして改正刑法にまで言及したものだった。
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