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2018年12月15日 (土)

ラスト昭和(2)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 杉本町駅の改札は大学の反対側だけで、キャンパスには駅の両側にある踏切を渡らなければならなかった。敦は入学以来ずっと南側の踏切を渡っていた。阪和線は普通・区間快速・快速に加えて紀伊半島への特急「くろしお」も走っていたので、一時間のうち四十分は遮断機が閉まるという状態だった。

 四本の線路に加えて関西本線とつながる貨物線もあって踏切は結構幅があった。線路の東側のキャンパスは駅の横が理系地区、道路をはさんで南に文系地区、理系地区の東に教養部という配置である。なお、医学部は天王寺にキャンパスがあった。踏切を渡るとすぐに経済・文学・商学部の研究棟に行くには便利な門があるが、敦はさらに向こうの専門から入った。

 正門からは本館が正面に見ることができた。三階建ての昭和初期に作られた建物で中央には時計塔があった。誓文から本館までは100m近くあり、芝生とワシントンパームの列ができていた。法学部の事務室は向かって左の図書館の端にあり、大学に来るとまずここの休講掲示板などをチェックする習慣になっていた。今日は法学部自治会主催のソフトボール大会が予定されていた。

 事務室を出ると本館に向かって左の生活協同組合の建物にある手洗いに寄った。個室の中で用を足すついでに運動しやすいように着替えた。隣の個室からは規則正しい音が響いていたが、何をしているかはともかく、誰なのかはわからないように出るタイミングが注意かなと思った

 本館の南には野球場があり、ポプラ並木をはさんでラグビー場もあった。その先は大和川が流れていて対岸は堺市である。ラグビー場の横を走る阪和線の電車が鉄橋を勢い欲鳴らして走り抜けた。

 一・二回生時代はクラス単位でのチームだったが、専門の場合はゼミである。もっとも人数が少ないと連合チームを組むかあるいは有志というような形でエントリーすることになった。敦は刑法ゼミに所属していた。将来の進路ははっきりしていなかったが、もし警察に入るとしたらやっておくのがいいかなという動機である。先生は刑法では日本随一の有名な先生だった。各学年で十人以上が所属し、司法試験を目指す人もいた。

 敦はサードで四番というポジションだった。一・二回生からずっとこの位置で、一回生の秋には優勝も果たした。最初の相手は一回生のCクラス、互いに女子一人ずついたのでハンディの点数も二点ずつと同じで試合が開始された。相手の投手は剣道部で、T高校の出身、しかも四番に入っていた。

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