陽炎(13)
前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m
3連休はすべて職場に行ってワープロを打っていた。業務関係だけでなく、コラムや個人的研究も含めてである。十六日の午後五時には名古屋に持っていく資料をプリント・コピーしてスーパーに寄って帰宅した。十七日の朝六時に目覚まし時計が鳴るようにセットしていたらその前にちょっとした揺れで目が覚めた。
東京ではよく震度3程度の揺れがあるので、またかなと思っただけである。目覚ましが鳴るとテレビをつけた。関西でやや強い地震があったとニュースが告げていたが、すぐにローカルニュースに変わった。朝八時くらいの新幹線に乗るつもりだったのでパンと牛乳にポテトサラダで朝食をし、朝七時前には家を出た。
室長とは名古屋のワーキンググループが行われるホテルのロビーで落ち合うことになっていた。開始時刻は午後一時半となっていた。通勤定期ではなく、東京・名古屋の回数券で小岩駅の有人改札を通った。銀色の車体に黄色の帯を入れた一番新しいタイプの電車で錦糸町まで行き、東京駅に直行する快速に乗り換えた。
マリンブルーとクリームに塗られた電車は満員だった。江戸東京博物館の脇で地下にもぐり、東京駅の地下ホームの上のトイレで大便を済ませた。隣の個室では「うんこをしながら」自分から携帯電話をかけている人がいた。私はまだ携帯電話は持っていなかった。隣の個室から「新幹線が止まっている」という声が聞こえた。
東海道新幹線への乗り換え改札をくぐると午前六時発の予定だった「のぞみ」からストップという状況である。構内アナウンスが「関西地方での地震の影響で東海道・山陽新幹線は運転を見合わせています」と繰り返していた。私は公衆電話で職場にコールしたら峰岸が出た。
名古屋のワーキングには運転が再開され次第向かうと告げてとにかくホームで待つことにした。「のぞみ」の次に出る予定の博多行き「ひかり」を名古屋止まりで運転再開の一番列車にするというアナウンスが八時半くらいから始まった。八・九号が二階建てで自由席は一から五号までであるが、すべての車両が自由席になると案内された。
一号車まで歩いたが、座席は既に埋め尽くされていた。仕方なく通路に立って運転が再開されるのを待つことにした。列車が動き出したのは九時十分である。名古屋まではノンストップになるが、名古屋より西は線路の点検状況によるというアナウンスだった。また、「ひかり」はこの列車だけで、「こだま」だけの運転になるということも知らされた。
二時間で名古屋に着くと腰が痛かった。とりあえず名古屋駅にある食堂で「きしめん」を食べた。再び職場に電話をすると先輩の研究員が室長が新横浜から向かうという連絡があったことを知らされた。そして「神戸を中心にかなりひどいことになっているみたい」と知らされた。
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