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2018年11月29日 (木)

青春の彷徨(7)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 11月になると指導運転士の元でYとSの駅間を運転することになった。新幹線では二駅、片道一時間二十分の訓練運転である。四両編成の電車はかつて京阪神の特別快速として運転されたが、こちらでは各駅停車である。それでも駅と駅の平均距離は六キロ、最高速度は110キロまで出せた。京阪神時代は六両だったが、二両分はずされた。二人がけのシートが並びドアは片側二箇所というのは昔のまま、塗装はクリームにオレンジのラインだが、最初は茶色い帯だった。

 レバーを手前にひくとアクセル、前に押すとブレーキ、とりあえずこの車両は一時間に二本走るこの区間では三本に一本使われていた。レバーを手前にひいて110キロまで加速し、ニュートラルの位置にしてスピードが100キロに落ちると加速というパターンである。駅のホームはかつての栄光の時代で10両以上止まれるが、所定の位置を最悪でも3m以上外さないこと。そのプレッシャーは半端ではなかった。最初は行き過ぎることが多く、指導運転士からどこでブレーキをかけ始めるかを注意された。

 勤労感謝の日に北九州で行われた西日本の社会人大会も支社チームの次鋒で出た。最初の相手は地元の市役所チーム、先鋒が面と小手でストレート勝ち、二人目はなんと上段の構えだった。清二は逆胴に切り込んでみたが有効にはならず、引き分けでつないだ。中堅も引き分けで、副将が一本勝ちして次は拘置所のチームである。先鋒が引き分け、清二はひさびさに逆胴を決めて一本勝ちした。しかし、あとの三人が敗れた。

 正月二日の母校での稽古は出ることができた。指導運転士とのペアで大晦日と元旦は同じ区間を一往復である。まだ太陽の下での運転だが、次第に雨や雪がちらつく状況下での運転も経験した。稽古はじめでは品川・野村や岩本、そして現役とも竹刀を交えた。晋一は来たものの、見るだけだった。

 三月の部内試合ではAチームに残れることになった。ポジションは次鋒である。運転士としての訓練との両立でがんばったなと部長から言われた。指導運転士の下での運転は夜間も経験して三月のダイヤ改正でもこの区間は特に変化はないので、いよいよ一人で常務するという重責を担うこととなった。車両は元特別快速限定だが、アクセルレバーとブレーキレバーが別のタイプも回送で鳴らし、さらにはY・Sだけでなく、Iとの区間も走るための研修が控えていた。

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