« 全日空 12~1月の時刻表 | トップページ | 家屋の解体が… »

2017年11月17日 (金)

白い闇(25)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 O市には三日間滞在した。かつての炭鉱はすべてなくなり、鉄道路線は電化された部分を除いて廃止されていた。主な産業は海底油田からの石油・天然ガスというところである。大学を訪れて調べるとモノレール沿いの陶磁器工場は空港の近くに移転していた。城の横にある鉄道工場では車両生産がなくなってメンテナンスだけとなっていた。新たな車両はこの国の西部にあるR市に私の母国が作った工場で作られるという状況である。それはほかの国にも輸出するための拠点という位置づけでもあった。

 Lシティには夕方誓い飛行機で移動することとなった。とりあえずО駅周辺の商業施設を見てモノレールではなく国営鉄道での移動である。線路は国営、車両は民営という形は結局定着しなかった。旅客・貨物それぞれが政府による株式保有割合が五割という「準国営」という形である。飛行機も格安航空が次々に問題を起こして国営のものだけが国内線を運行していた。

 ステンレスに赤い帯を入れた四両編成は昔の姿のまま、一番ホームからの折り返しという形で発車した。貨物の線路をまたぐレールは昔のまま残っていたが、下は空き地の状態である。カーブを曲がりきると線路が現れてコンテナを積んだ貨車が止まっていた。J駅に滑り込むとディーゼルに乗り込んだホームはレールが取り外された上体で残っていた。O駅に向かうLシティからの高速列車が通り過ぎた。速度は100キロそこそこに落としていた。

 モノレールと交差する駅で降りて空港のターミナルまで歩いてみることにした。モノレールは空港前の巨大な駐車場を迂回するが、駐車場を突っ切るように歩くと一キロない距離である。車は意外にすくななかった。ターミナルビルの前に並んだバスから観光客が降りて中に入るのが見えた。この空港からの路線はLシティに一時間に一顰、それ以外は国際線が十都市ほどである。その国際線には格安航空もあった。

 機材は150人乗り、白い機体に赤のライン、エンジンカバーと垂直尾翼も赤とこれまた昔のままの塗装である。座席は黒い革張りですべての座席にコンセントがつけられているのは時代にあわせたものだと感じた。電子機器の充電を求める声はどこの国でも共通していた。空は晴れ渡っていて右の窓側からの景色が期待できそうだった。離陸は南に向けて行われた。空港の近くに工場や住宅地があり、すぐに緑の丘陵地帯に変わった。

|

« 全日空 12~1月の時刻表 | トップページ | 家屋の解体が… »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 全日空 12~1月の時刻表 | トップページ | 家屋の解体が… »