下り坂(195)
前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m
シンポジウムは一時間半ほどで終了した。市長は本館の玄関前から公用車で退出した。東京からの参加者は三方向に分かれた。福岡空港行きの高速バス、小倉駅に向かって列車で福岡空港にまたは新幹線、北九州空港という人には事務局でジャンボタクシーを手配していた。学会の会長は大阪のOC大学経済学部の教授で、小倉駅から新幹線である。関西周辺は全員がモノレールで小倉へと向かった。
「ここはなかなかの教育環境ですね」
競馬場のホームで待つ間、関西のR大学の先生が哲也に言った。この先生とは前夜の懇親会で名刺を後援した。宿はステーションホテルである。遠くからの参加者にはLホテルや駅周辺にあるいくつかを手配した。福岡市や山口市の先生は自宅に戻った。
「昔からこんな感じでした」
反対側に市立大学の車体広告の電車が来た。ホームの接近表示板には三駅先の小倉行きが入った表示が出た。
「学生集めはどこも必死ですなぁ」
「当社もそのうち大学の広告を入れるかもしれませんよ」
哲也は既にいくつかの大学に働きかけていた。さすがに胴体のペイントは難しいが、コラボレーションしたグッズという可能性が出てきていた。
やってきた小倉行きはF銀行の車体広告だった。座席は完全に埋まり、哲也は立った。会長の先生は腰を下ろしてキャンパスを背に発車した。電車は都市高速道路の下入って次の駅に止まった。
「この交差は何もしないんでしょうね」
JRと交差するところで哲也の横に立った。D大学の先生が言った。ここはモノレールの駅の中間点になっていて、既存の駅とも離れていた。それがネットワークとしてはマイナスだとその先生は感じたようである。
都市高速道路をまたいで平和通に入って哲也は93番のバスに乗り換えた。もっと若いときならJRと交差した次の駅で降りてN中の前を歩いて家に向かうところだが、それをやるならバスにするほうがずっと楽だった。
| 固定リンク
コメント