下り坂(191)
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事務のフロアは滑走路に面していた。哲也の席は経営戦略グループの四人が向かい合わせに座った席を前にして窓を背に座る形である。誘導路をN貨物航空の747が進んできた。それはバンコクを未明に飛び立って来て北九州に立ち寄って成田へ飛ぶ便だった。北九州は混雑の激しい福岡の代わりに「九州・山口の国際航空貨物の玄関口」となっていた。バンコク便は週二回、そして台北からも週一回、また成田から北九州を経て香港・バンコクに飛ぶという便が設定されていた。
747が見られるのは成田・中部と北九州のみになっていた。旅客の777または380へのシフトで747は貨物用でしか見られなくなってしまった。N貨物の747は貨物スポットに入るとコックピット下のドアを開いた。そこから北九州で下ろすコンテナと積み込むコンテナを出し入れした。
パソコンを立ち上げてネットを開くとA空輸の380が中東の航空会社に売却されるという記事が流れていた。それはN経済新聞が出したものであるが、ソースはたぶん持ち株会社の広報である。エアバスとの腐れ縁の代償として320より一回り小さい319をグループで導入するという計画も持ち上がった。737を使っているS航空も羽田と北九州・山口宇部の路線は搭乗率に難のある時間帯が出てくるようになっていた。
もっとも気がかりなのが、リニアの影響である。品川と名古屋を40分で結ぶリニアが完成すると名古屋で乗り換えに20分必要としても品川・小倉で移動時間は三時間四十分前後となり、航空の優位は大きく揺らぐこととなった。それを見据えての新機材導入は革張りシートと全席テレビはもちろん機内でのネット接続無料、空港の送迎サービス充実ということにしなければならなかった。
機体への広告にもまずMRJ一機乗り出した。垂直尾翼のロゴはそのままで胴体の上部にヤフーの広告を入れたのである。さらに737でも北九州の観光PRとして小倉城・平尾台・スペースワールド・門司港レトロを羽田でのヘビーメンテナンスの際に入れることとなった。他にもK銀行とY銀行のグループやタクシーのD社という具合にお願いしているところである。機体広告はJ航空が熱心になりはじめて、オリンピックがらみでドリンクのk社、Aビール、スポーツ用品のM社などの広告が777に施され、福岡では一日に三回くらい見ることができた。
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