下り坂(199)
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2021年のクリスマスイブは金曜日、天皇誕生日の祝日と土曜日にはさまれていた。S航空は羽田空港のカウンターでイベントをやることにして哲也も参加した。カウンターは第一ターミナルビルにあった。オープンから二十八年たった第一ターミナルは羽田の施設では最古参となっていた。南北400mの建物の最南端がS航空のカウンターである。ずっとターミナルビルの隅っこを割り当てられているという状況に変わりはなかった。
ターミナルビルの中央にある吹き抜けも昔のままである。朝十時過ぎに羽田に着いた哲也はイベントが開始される午後一時までの間に空港の中をさっと見ておくことにした。吹き抜けに面した展望エレベーターはそのままだった。トイレも「和室」はひとつだけ残して「洋室」化された。展望デッキに上がると正面に富士の姿が見えた。滑走路をアメリカのA航空の777が走り出した。長距離国際線も羽田にシフトするようになって羽田は様々なエアラインが乗り入れた。
第一ターミナルができた頃、クジラの塗装を施したものをはじめ、ずらりと747が並んでいたのが、大きくて777、あとは737ばかりという状態になっていた。第一ターミナルにはJ航空の他、二つのエアラインが入っているが、どれも小型機ばかりである。展望デッキの北には東京タワーとスカイツリーが遠望できた。オリンピックのときから離着陸のコースは都心の上も加わったが、昼間の時間帯になると東京湾上空のみに戻された。滑走路を真北に進むと品川、渋谷などの上に出た。
ランチは羽田カウンターの面々とターミナルビル二階のレストランですることにした。ビーフシチューのセットを頼み、到着口に出入りするリムジンバス・タクシーなどを見下ろしながらだった。道の向こうには駐車場があり、そして第二ターミナルビルとなっていた。そちらはA空輸の本拠地である。
整備場についての話も出た。保有する737は15機となり、A空輸の施設で整備している状況だが、北九州に移すという方向になってきていた。北九州空港の南部分にある遊休地を使って二機分の格納庫、部品保管庫を設けるという構想である。整備担当の取締役は羽田にいたが、そうなると取締役全員が北九州ということになった。
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