下り坂(197)
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「それにしても皆、それぞれに昇進しているなぁ」
哲也は市役所の者と名刺を交換した。都市計画局の局長となっている彼はQ大の法学部卒業である。ここまで上がれると万々歳だが、あとは外郭団体にというところである。
「T電気もS製鉄もリストラで大変だったみたいだねぇ」
同期でこの二社に入ったのは八人、部長以上にいなければいけない年齢だが、残った者はいないようである。S製鉄はグループ会社だが、T電気になると早期退職だった。
「印刷業って環境変わってしまったよねぇ」
野球部だった井原は銀行をやめて家業を継いだ。まだまだ折込チラシは健在だが、デジタル化の波に強くさらされていた。
高校の教員をしている者はY大学の教育学部だった。京筑エリアの学校を転々としていて、今はI高校で数学を教えていた。ここは中高一貫である。進路指導の主事をしていていろいろな大学から学生募集がやって来ると言った。K高の進路指導室の前にも各大学のパンフレットのコーナーがあるが、最多はQ大学のものである。
「そういえば、N大学の広告を出すことになったよ」
哲也は重整備中の機体にN大学のホームページアドレスを施していることを披露した。この機体は羽田から北九州・福岡・山口宇部に満遍なく飛ばす予定である。
歯科医師は斎藤と同じQ歯科大学である。八幡西区で開業していて子供はT高校に進んだ。そしてQ歯科大で助教を勤めているということだった。学生の動向を聞くと「希望が多いのは小児歯科だけど、需要は高齢者」という返事である。
哲也たちの期の恩師は全員が定年退職していて、鬼籍に入った先生も何人かいた。一番若い数学の先生は私立高校で教えていた。その私立は野球部の甲子園を阻むところのひとつである。
剣道部の関係は上は十期以上来ておらず、下は四期下で住宅機器のT社の者がいた。肩書きは海外事業部長でインドに月一回のペースで出張しているそうである。A空輸は成田とムンバイに路線を飛ばしているが、彼が利用するのは福岡からシンガポール経由だった。
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