下り坂(202)
前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m
夏の日差しが周防灘に降り注いでいる。朝八時過ぎに出勤した哲也はオフィスの手洗いで排便をするとブラシで和式便器の平たい水溜りの前方についた茶色い筋をブラシでこすった。「洋室」は便座が壊れて「使用禁止」になっていた。ラグビーをしている者の体重に耐えられなかったのだろうというのが庶務担当の見解である。取り締まり役になったとはいえ、経費節減のためにトイレの清掃もいとわないようにしていた。
便器全体をブラシで磨き終えたとき、トイレに紺色のズボンに白の開襟シャツ、灰色の日よけをかぶせた制帽のN中の後輩が入ってきた。一学期の最後に「職場体験学習」なるものが行われ、二年生は市役所からスーパーなどいろいろな職場に一日行くというものだった。N中から一人受け入れてほしいという要望があったので快諾した。
彼が「使用禁止」の張り紙に視線を向けたので、哲也は「こっち大丈夫かね」と声をかけた。「和室」に入ったので、まぁどんな状況になっても大丈夫かなと思いながら洗面台も清掃することにした。校章入りの補助カバンを金具にかける音、ベルトをはずす音、哲也は耳をすませながら水周りをぞうきんで拭いた。水のはねる音がしてから紙をひきちぎる音が聞こえた。彼が出て行ったあとにもう一度「和室」を点検したが、茶色い筋はなく、かすかに匂いが残っていた。
始業時刻に職場体験ということで、オフィスで総務の課長が彼を連れてあいさつに来た。社長は東京出張、整備担当と運航担当はそれぞれのところにいた。彼は哲也を見て改めて頭をさげた。
「整備工場の見学と手荷物の作業体験ということでよろしいでしょうか」と課長が言った。
「熱中症に気をつけてください。学校では何かクラブ活動は」
「剣道です」と彼は答えた。
「これから暑さとの戦いだね。得意な技は」
「試合では胴が多かったです」
まずは作業用の服に着替えさせて整備工場に連れて行くことにした。窓の外に747の貨物専用機が到着した。
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