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2016年5月16日 (月)

下り坂(174)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 380のほうはスカイドリームに納入予定だったものの、A空輸塗装への化粧直しが行われ、次に機内のレイアウトが問題となっていた。ハワイ路線に投入するとなると観光路線という性格上、エコノミーの比率を高くせざるを得なかった。一階の前方にファースト、後方はエコノミー、二階にビジネスとプレミアムエコノミーなのかなという感じである。パイロットの完熟も兼ねて国内やチャーター飛行をやってからということになったが、国内の場合、ファーストは閉鎖、スーパーシート客はビジネスに、あとはエコノミーということで羽田と福岡や新千歳ということが示された。

 パイロット及び整備しは777チームから選抜され、パイロットはシンガポールに派遣されてシミュレーターから、整備士は座額を経て、成田に乗り入れている機体の点検からスタートということになった。整備チームにはMの名もあった。747が退役して四発を整備する機会は来ないかと思われた年代にとっては貴重な経験である。もっとも貨物航空ならば747を扱うチャンスはあった。

 380の最初の機体は秋に受領ということだった。三機揃うのが二月で、それまで国内線での完熟ということだった。ベースは成田か羽田が微妙だが、やはり羽田が集客面でベストということになった。とりあえずは747用のハンガーの出入り口を改修して使えるようにすることが決まった。

 会議が終わると航空関係雑誌の取材を受けた。MRJも380もプレスリリース前ということで言葉を濁すのに躍起だった。とにかく「検討中でまだ申し上げる段階にない」とだけ言い続けた。どちらも会社にとってはお荷物となりつつあって、本当は政府専用機のほうに話題を振り向けたいというところである。羽田からニューヨークという路線の宣伝に一息つくと話題は限られた。

 家に戻るとネットで「福岡県高体連」のページを開いた。K高の剣道部は北部エリアでは最強という誇らしい状況になっていた。その中核がN中の後輩たちであるということもさらに誇らしかった。しかし、県でとなるとやはりO高校の力には及ばなかった。元旦もまた行くことにしようと哲也は決めた。

 

 

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