下り坂(172)
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師走となってからも気温の高い日が続いていたかと思ったら急に寒波がやってきた。北海道は大雪で航空ダイヤはめちゃくちゃである。哲也はくれぐれも事故がないようにと願いながら地下鉄で職場に向かっていた。ホールディングスのフロアは総合研究所の二つ上である。広報部のスタッフは六人、哲也の机は窓を背にする形で、五人の係がパーティションに仕切られた形で座っていた。ここは大学卒業したばかりの者が来るところではなく、入社十年から十五年、係長クラスが一時的にいるという状況である。
IRの担当はW大学の商学部、グループすべてのホームページ担当は哲也と同じ大学の工学部でコンピュータをやっていた者、マスコミ対応はH大学の法学部、広告関係はM大の商学部で元野球部、グループ内への広報全般がQ大学の経済学部で、実家は熊本だった。
A空輸の路線展開は羽田からのアメリカ路線割り当てが増えて、ニューヨーク便が成田から移った。オセアニアの次はアフリカに新規就航できないか検討はしたものの、適切な路線は見つからなかった。国内といえば、北海道新幹線の影響が心配されたが、札幌も函館も安泰である。ただ、函館については北海道を地盤とするグループ会社に移管するという案が出ていた。ボーイング737の乗員と整備スタッフを分け与えて羽田と札幌以外の北海道路線は全て任せるということである。
北陸新幹線の影響を受けて羽田・富山は撤退することが決まった。富山県知事や経済団体の関係者がやってきて考え直すように要求し、国土交通小児も泣きついたが、無視された。国会議員の秘書が来たときは、さりげなくテーブルに週刊誌を置いて「いつでも狙撃の手助けできますよ」とやんわり脅迫した。夏には狙撃された東京都知事の後を決める選挙が行われ、そのために稽古の機会が一回牛なられた。
年末年始は北九州で過ごすということで、S航空に予約を入れた。この会社にMRJ運行路線を任せるという案も浮上していた。福岡を中心に宮崎・大阪といった70人程度の機材で運行しているところの移管である。A空輸自体は国際線で777、787、767、737、さらに新しく入れる380を運行し、国内でも777、787、767、737で行くという方向である。MRJはリージョナルという位置づけからグループ会社に・・・ということだった。
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