下り坂(187)
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盆休みの日曜だが、哲也は午後五時まで空港の本社ビルにいた。午後六時から小倉駅のステーションホテルでN中の同窓会が予定されていた。2001年から気数年ごとに行われ、今回が十回目である。一期下でN中の教員になった者からの案内では「出席の場合だけ連絡ください」となっていた。突発事態が起きないことを祈りながら出席と答えた。
バスは都市高速道路を走って小倉駅の北口に着いた。Lホテルならこちらが便利だが、ステーションホテルは南口である。哲也は昔からの南北連絡通路を使った。それは地上の高さである。ホテルの入り口は一階で会場となる広間は七階だった。受付では名刺も入れた。「S航空 経営企画執行役員 岡部哲也」それが今の肩書きである。
参加者は一期生が八名、二期で五名、三期が三名、四期二名で、五期が哲也の他に六名となった。それ以降はおおむね五名前後、大学生が十名くらいという状態である。一期生では初代同窓会長を務めた小学校の先生の他、建設会社の社長やF大学の教授になった人がいた。二期生では地元スーパーの社長や内科の開業医、三期は子供がN中に通っているという人、四期も同様である。剣道部の先輩はいなかった。
同期は大塚と小松が剣道部、あとの四人は部員ではなかった。大塚は海上自衛隊を一尉で退官して福岡市でマリンレジャー関係の会社の役員をしていた。小松は不動産業の傍らで市会議員になっていた。あとは広島にある市立大学の教員、飯塚市役所の職員、福岡で整体師、市内で歯科医院というところだった。
剣道部の連綿としたつながりが下の期では続いていた。初めて全国大会出場を果たした二十四期、そのひとつ下からは女子が、三十四期には個人全国制覇した者がいるが、東京のほうで就職したという情報で、こちらには戻っていなかった。N中からK高に進んで、元旦に顔を合わせていた者も何人かいた。
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