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2016年5月24日 (火)

下り坂(182)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 かつての校舎跡は駐車スペースになっていた。哲也はまだ残っている講堂の北まで入り込んだ。そこは日陰でもあり、体育館に近かった。講堂ではブラスバンドが音だしをしていた。ここ数年、野球部は県大会まで行くものの、ずっと私立の壁に阻まれていた。自分が生きているうちは甲子園出場はないだろうなと心の中で思った。

 携帯への緊急連絡は入っていなかった。哲也は柔道場で着替えさせてもらった。夏場はいつもOBは少ないそうである。哲也の前後の期はもちろん、来るのは近くの大学に行ったりした者くらいだった。高校一年で三段が取れるようになってから二期卒業したが、まだ大学一年で四段を取得した者はいないそうである。

 男子十一人、女子八人のうちN仲は三年が男子二人、女子一人 二年は男子一人、一年が男子三人、女子一人である。男子はインターハイの地区予選で団体・個人ともにトップで通過して県大会でも上位に入った。その主力がN中であることは誇らしかった。哲也は全員とやるつもりで一人三分程度という風に設定した。

 他のOBは保険会社を定年退職した人と一年生の女子部員の保護者、こちらは門司のほうでやっていて二十年ぶりに再会したばかりだと聞いた。哲也はまずキャプテンと竹刀を交えた。彼はN中の後輩で、個人で地区トップ、県で三位、インターハイまであと一歩である。最初の面はやはり胴に返した。合い面勝負はやはり負けた。

 もうひとりのN中出身の男子は剣道推薦ではなく、一般入試で、レギュラーにはなれなかった。同じく面返し胴から入り、最後は引き胴を浴びた。三年のN中出身女子は副きゃふ店で、一分半程度、胴への攻撃はしなかった。それば女子全般に対してである。二年のN中出身者は次のキャプテンと見られた。

 やはり面返し胴、振り向いたら思い切り面を浴びた。もう足がだめになってきたなと哲也は悟った。最後の勝負では出ばな小手を決められた。そして一年のN中卒業の女子とは二分程度、最後に面抜き胴を認めた。少し打ちが弱いかなと思ったが、男子とはパワーが違うということとした。

 一年の男子三人にもまったく同じように面返し胴を使った。もう団体のメンバーに入った者は勢いがよくて元打ちになった。彼には最後は会い面勝負での巻け、あとの二人には面抜き胴を認めて終わりにした。さすがに打ちは上下に両断できるくらいの強さがあった。もうすぐ終わりかなというところで女子の保護者が哲也の前に来た。

 

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