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2016年5月26日 (木)

下り坂(184)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 福岡空港への出張はJRを使うことにした。自宅からバスで小倉駅に特急列車は「二枚きっぷ」である。役員ということで規定上はグリーンの使用も可能だが、それは長距離に限られた。もっとも近隣の空港の営業所を回ることはあまりなく、本社にいることが多かった。福岡に行くのはセレモニーのためである。

 福岡と対馬四往復のうち、昼間の二往復をA空輸から移管してもらうことになった。これで福岡・宮崎の三往復に加えて三機で十便である。整備は空港の西側国際線ターミナルの横で行うこととなった。国内側は改修工事の関係でスペースがないからである。ローカル用の第一ターミナルビルは解体され、誘導路が移動、そして一本だけの滑走路は二本になるという手順である。

 博多駅で地下鉄に乗り換えてタイにターミナルビルの到着口側に上がると、第一ターミナルの役割を果たしていた。ローカル路線用の仮ターミナルビルに入った。東京路線は第二ターミナルだが、福岡と宮崎・対馬を結ぶ路線はこちらである。いずれは五島・小松も譲り受けるが、伊丹は第二である。

 社長は前日の夜から福岡にいて経済界の人たちとの交流にいそしんでいた。セレモニーでテープカットをするのは社長である。哲也はといえば、地元のマスコミの取材を受けたりするのが仕事だった。航空雑誌のチームはМRJに乗り込むが、地元のテレビ局は送迎デッキからカメラ撮影するのみである。

 朝九時半から出発のセレモニーがはじまった。社長のあいさつ、乗客への記念品贈呈が行われ、黄色い期待に赤でロゴを入れた飛行機に乗客たちが乗り込んだ。飛行機は仮ターミナルから二百メートルほど離れた場所ににあるが、移動はマイクロバスである。タラップとドアは兼用になっていて、それがいかにもローカルという雰囲気をかもし出した。

 定刻の十時十分に機体が動き出した。前に出てすぐにユーターンして誘導路を空港の南端へと走った。二月の福岡はやはり北からの風が多かった。380が羽田からハワイに向かうのを見たときは夜で迫力は全く感じなかった。こちらは小型機であまりにも静かなテイクオフである。

 

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