下り坂(175)
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朝八時、哲也は新橋駅で山手線に乗り換えた。航空政策研究会で三回目の報告をやることになり、水道橋に近いN大学に行くためである。地下鉄の乗り継ぎで行けない事もないが、たまには地上の様子も見ておきたいと思った。山手線は新旧の車両が混在している状態で、やってきたのは古いタイプである。
神田ではなく秋葉原で総武・中央各駅停車のホームに上がった。山手も中央も座ることはできなかった。客が日本人よりも外国人のほうが多いように感じるのも東京の特徴である。神田川の鉄橋を渡って御茶ノ水に、ここで快速に乗る人、乗り換えてくる人とすれ違いが行われ、同時に発車した。
水道橋の駅で降りてN大学に着いたのは九時前、研究会開始予定は午前十時だった。テーマは「航空機更新における人員配置の諸課題」だった。年明けにS航空との路線分担に関してリリースした関係とA380の導入をリンクして話すということが求められた。研究会の定員は200人、事務局からは満席になったと伝えられた。資料はファイルを送り、事務局のほうでプリントして配るようになっていた。
控え室に入る前に手洗いに足を運んだ。二十世紀に作られた校舎のトイレは「洋室」への改造が行われていたが、五つのうちひとつ「和室」が残っていた。哲也はそこを選んだ。まだ足腰の鍛錬はできると思っていたし、排泄物による体調チェックも続けていた。「茶色いバナナ」も以前に比べて細くなったなという印象である。
控え室に入るともう一人の発表者がいた。海洋大学の准教授で、中国のアフリカ進出に関するレポートだそうである。哲也は初めての報告でアフリカ云々の話をしたことを思い出した。准教授は当時、大学院生だったが、研究会の過去のレポートで読んだと言った。この人の専門は国際物流である。
研究会の司会はH大学教授で国土交通省の審議会で座長を務めている教授だった。もう十年来の顔見知りである。哲也の発表が先で、簡単な紹介を受けた。平成元年にA空輸入社、総合研究所時代にここで二回発表、昨年四月からホールディングスで広報担当部長と・・・
参加者のテーブルには資料が並べられ、役所、大学、運輸関係の企業からの参加者が席を埋めた。資料には特別にMRJの機内レイアウトも入れた。デビューは九月で福岡・宮崎である。座席は普通席のみで74となった。これはCRJと全く同じである。塗装は一機だけA空輸だが、二機目以降はほぼ真っ白な機体に一部だけA空輸のロゴというものになった。
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