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2016年5月 8日 (日)

Our generation(61)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 小倉駅長を三年、無事に勤め上げたら「経営企画部課長」に栄転した。住まいは六本松のQ大学跡地のニュータウンである。地下鉄六本松の南に裁判所、鉄道科学館、集合住宅にショッピングモールができた。子供は二人とも徒歩五分の小学校である。相次ぐ震災、福岡でも活断層が動く地震の懸念から住宅ローンを組んでまでというのは考えなくなった。

 地下鉄は天神から博多まで延伸されたので通勤にも最適だった。経営企画部は会社の事業の全てを見るという点ではヒロの今後のキャリアにとって重要なステップである。会社の収益の柱は鉄道・不動産・旅行であるが、鉄道の地位低下はさらに進んでいた。頻繁に災害でふつうとなる豊肥線はもはや経営のお荷物でしかなく、切る方法を模索していると見受けられた。

 豪華観光列車「ななつ星」も後継をどうするかが検討されていた。日本のあちこちで同じような豪華列車が走るようになって、地位は相対的に低下し、これまたお荷物という現状である。阿蘇も頻繁に噴火していたため、博多・湯布院・別府・宮崎・鹿児島・柳川というのが定番となっていた。

 豪華列車については両端にディーゼルをつけたものにして最後尾の展望寝室をやめるという案も出てきた。そのうえで門司港も一泊二日の短期間に加えるという案である。東九州新幹線の構想は大分や宮崎が強く求めているが、国の財政という観点から批判的な意見が根強かった。ヒロ自身、小倉駅長の経験からどうやって分岐させるのかと疑問を持っていた。

 不動産については、街づくりに積極的に参加するということで、駅周辺への集約という「コンパクトシティ」に乗っかった。これと路線が連動しているところと自動車、すなわちバスへと転換する境界線が作られつつあった。その一例が熊本の三角線、鹿児島の指宿枕崎線の指宿から先である。

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