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2016年5月 7日 (土)

Our generation(60)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 三番船は小倉・下関のシャトル運転である。関門トンネルを通れる唯一の交流・直流両用の電車は蓄電池車両に置き換えられた。古い電車は四両だったが、こちらは三両である。小倉・門司で充電して門司・下関は蓄電池の電気で走った。最高速度は小倉・門司が120キロ、門司と下関では85キロである。

 四番線は大分から来た特急「ソニック」が博多へと折り返すホームである。また、大分方面への貨物列車が通過した。五番線は門司港から博多・大牟田方面への快速電車、六番線は小倉で折り返す普通電車のホームである。小倉・門司港間は快速電車が普通として走った。連結数は減っても快速と普通が一時間に三本ずつ小倉・博多の間を走る状況は維持されていた。

 七番線は博多から大分に向かう特急「ソニック」が折り返した。そして八番線が門司港行きの電車が出るホームである。博多から門司港レトロへと向かう観光客にはうまく乗り継げるようにダイヤが組まれていた。逆に帰りはそのまま快速、急ぐならここでホームを移動するか移動しなくてもいい黒崎または折尾でというところである。

 八番線と新幹線の間には貨物の線路があった。東京や大阪と福岡貨物ターミナルを結ぶコンテナ用の貨物列車は最大26両が可能だったが、これもまた20両で十分という状態になっていた。

 赴任から一年半が過ぎて首都直下での地震が起きた。東京は震度6の揺れに見舞われ、高層建築の倒壊はなかったものの、室内の物が動き回って圧死した人が100人前後、首都高速の一部で端桁の落下が起きて十数人、下町での火災で五十人程度亡くなった。電車はストップして多数の帰宅困難が発生し、新幹線は東京・品川で脱線が起きて一ヶ月止まったが、リニアは問題なかった。

 

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