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2016年5月 6日 (金)

Our generation(59)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 小倉駅にある四本のホームはいずれも300mはあったが、どれも発着する列車はずっと短かった。昔の夜行寝台特急は14両、昼間の特急も12両はつないでいた。今、最も長いのは快速電車の七両、これは四両と三両をたばねたもので、各駅停車となると四両だけとなっていた。その四両は平成になってすぐ作られた古いタイプと、ここ十年ほどの間に作られたに量編成を組み合わせたものである。

 博多・大分の特急「ソニック」もヒロの入社時は七両だったのが六両に減らされた。御陵でも十分ではないかとすら言われ、小倉・博多の客の取り込みでもっているような状況である。とにかく長いホームの管理には歴代駅長は辟易していた。鉄道マニアが端まで行って写真を撮るくらいのものでしかなく、立ち入り禁止の柵を作るのも面倒、撤去する費用も出せないというところである。ホームの端は蒸気機関車時代の低いままでかさ上げされておらず、それが風情ある「資源」という意見もあった。

 小倉駅は吸収の東と西の分岐店になっていて、駅の西で別れるようになっていた。運賃計算上は最初の小倉駅だった西小倉が分岐駅だが、特急は止まらないのでこの区間は特例という形である。駅の東では門司方面から来た列車が鹿児島・日豊に振り分けられ、また両方からの列車がまとまった。西側は平面クロスだが、東側は立体クロスになつていた。

 駅の南側には六階までが商業施設、上がホテルという駅ビルがあった。昔は四階建てだったのが十四階建てに建て替えられた。改札口も一階にあって昔はここが表玄関だったそうである。駅前にあった祇園太鼓の銅像は待ち合わせのスポットだったが、歩道橋の上に移された。ヒロが通常いる駅長室は三階の改札のところである。

 一番線は日豊線の折り返しとなっていた。中津・宇佐との普通電車は以前は三両編成を二本たばねていたのが、三両と二両の組み合わせに縮小された。運転間隔はそのままで、こういう形での供給力縮小は地方都市での趨勢となっていた。二番線は日豊線で三駅先の城野から分岐する日田彦山線の折り返しである。ずっと二両編成のディーゼルカーが使われていた。逐電知識のハイブリッドカーはこの路線には入らなかった。理由は航続距離が40キロ以上伸ばせないということである。城野と田川後藤寺が30キロなので、無理だった。

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