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2016年4月 5日 (火)

白い闇(4)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 キャンパスは徴兵制時代に陸軍の新兵訓練に使われた用地を転用したもので、東西800m、南北300mである。南西端にモノレールの駅が接していて人だけが出入りする門があった。私たちは改札を出ると歩道橋で道路をまたいで入った。すぐ前に十階建てのドミトリーがあり、管理人室にスーツケースを一旦預けた。

 ドミトリーの北側には一階に食堂、二階は物品や書籍を販売する建物があり、その北側は100メートル四方の駐車場である。敷地の西にあるのが正門で、車はここから出入りだが、学生は基本的に「公共交通で」というスタンスである。正門前の道はO駅に通じていてトラムの終点だった。バスはここからさらに30キロ南の町への急行バスやモノレールより南のエリアの住民の足となる路線があった。

 駐車場の北には図書館があった。建物は四階建てで、蔵書数は100万冊である。この東には渡り廊下でつながれた五階建ての建物が四つ並んでいた。どれも東西に100メートルはあり、ドミトリー・食堂・図書館がクリーム色なのに対して、白い柱と赤レンガの壁という造り方である。

 一番南の一号棟は事務と教育の研究室、О大学は法学、経済学、文学の三学部から構成され、各学部の定員は300人ずつである。文学部は言語・歴史地理・心理・アートの4コースがあった。理科系は市内にО工科大学、医学部は70キロ西にあるh市にある医科大学となっていた。

 二号棟は一・二年生向けになってい情報処理や言語学習の特別教室なども備えていた。ここは大教室が多く、全学部共通の貨物が行われることが多かった。それに対して三号棟のほうは少人数の授業が主体の教室という具合である。そして四号棟が大学院向けで法・経・文を合わせて300人が自習できる部屋と市のシンクタンクともなる研究所が入っていた。

 キャンパスの一番東のエリアはグラウンド・テニスコート・アーチェリー場・プール・体育館である。学生食堂でランチをしてから職員の案内で一通り施設を見て回った。それからドミトリーに移動して部屋の鍵を渡された。私が割り当てられたのは八階の東側にある部屋である。食事はすべて食堂、シャワールームは1階、トイレは各階に共同である。

 部屋は個室で入り口近くに収納スペース、その奥にベッド、窓に接する形で机と椅子が置かれ、貸与されたパソコンとプリンターが机に置かれていた。ベッドは壁に接し、歩けるスペースは机・椅子の置かれた幅でドアまでだった。窓からはグランドの向こうに並ぶ集合住宅、右手にモノレールだけである。空は雲が薄くなって青みを増していた。

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