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2016年4月22日 (金)

日比谷百景(25)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 広報部長を三年務めてから契約部長に横滑りとなった。取締役ではないが、個室が与えられた存在である。契約部はタワー部分で再び皇居を拝める場所になった。通勤は広報同様、電車のままである。出社は朝八時で午後六時までフロアにいるのも変わりなかった。契約の査定は支社長申請の「特別取り扱い」の決済のみである。入社時から言われた「無敵のID」を初めて使ったのは四月半ばで広島支社の医療法人理事長の高額契約だった。

 同期から取締役になったのは二人、まず飯田が海外事業部所管の取締役に、続いて宮原が営業人事部所管の取締役にそれぞれの部長から昇任した。契約部所管の取締役は二期上の先輩である。秋田支社長からさいたまの支社長になった者は法人営業部長、甲府支社長から契約部の次長になった同期は福岡支社長に栄転した。福井支社長から北九州支社長になった者は営業人事部長、鳥取支社長から湘南支社長に異動した者はベトナムの生命保険会社に副社長として派遣された。そして鹿児島支社長から海外事業部に移っていた者はインドネシアの現地法人に社長として送り込まれた。

 バブルで同期の数が膨れ上がった私の前後三期はポストが頭打ち状態で、支社長や次長になれない者が七割に達した。後輩が支社長となった副支社長のケースはあちこちにあり、あと四年は気を使わないといけない状態である。定年延長とは言うものの、六十歳になると定年というのは同じで、あとは再雇用という形だったから、大先輩の契約社員も大勢現れた。最も少子化の影響で新入社員の数も100人集めるのがやっとという状況は同じである。

 契約部の新人は今年も一人割り当てられた。名古屋の国立N大学法学部の出身で、配属されたのは決定グループである。決定グループを仕切るのは山田課長だった。インドネシアの現地法人の査定業務支援のため、海外事業部に一年異動して日本に招いた研修生の指導をしていた。彼女と女性陣の尋問で、名古屋でずっと育って同じA高校の同期に彼女がいるということ、二人とも高校で剣道部だったという供述が引き出された。彼は大学でも続けて四段を取っていた。旧帝国大学「セブンシスターズ」の試合にも出て、私の母校のQでは小手で一本負けしていたが、T大戦で胴を二本、O大戦で面と胴、H大戦は小手一本ずつの引き分け、T北には面で一本負け、k大は互いに有効なしの引き分けである。

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