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2016年4月 7日 (木)

白い闇(6)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 市役所の西には道路をはさんでO高等中学があった。青い壁に白い窓枠の四階建ての後者で一学年500人、毎年卒業生の四割がO大学に進んだ。ここは著名な経済学者、小説家、科学者、そして首相も二人輩出していた。B国の教育制度は小中九年の義務教育の後、高等中学を経て大学または職業訓練校である。後者の場合も通信教育で高等中学卒業資格が得られた。

 校舎と視聴者の南北の長さは同じで、北側の突き当たりはО城の南斜面となっていた。斜面を利用して階段状に五階建ての建造物があり、下の一部が上のベランダという形である。元々は城に仕える者の住居だったのが、ホテルとレストランに改造された。城は宿泊できる部分と展示スペースの二つから成り立っていた。

 案内人がこの城で先進七カ国首脳会議が行われたことを紹介した。世界大戦時にB国と組んだ世界最強のA、Aの隣国のC、B国と海峡を挟んだF国が城に宿泊し、G、I、私の祖国Jは駅周辺の宿を割り当てられた。階段状の宿の最上部のスイートにC国の首脳が泊まったそうである。

 首脳会議の際、空港と城はモノレールで移動してもらった。それは都市交通システムとしての売り込みでもあったが、実現にこぎつけたのはC国の一都市のみである。城の南東端にある門から入ると緩やかな坂になっていて、石垣の上に青壁に白い窓枠の二階建てがあった。東側の一番南の一階の部屋で首脳会議が行われたと説明があった。中庭があって西側の鐘楼の下にある部屋にA国の大統領が泊まったそうである。

  入り口は中にはを囲む建物の東側と北側の角になったところだった。ここで首相は各国の首脳を招きいれた。入ってすぐ老化になっていて、真ん中にロープが張られて順路が示された。まず南向きの大広間でここがあって北側は壁、西は中庭、南は正門へのスロープで視聴者の四・五階、そちらは議場になっていて議長が南向きに座るため、壁だった。

 東側はモノレールと川を見下ろす形である。そして円卓に首脳会議当時の各国首脳の写真が席順に置かれた。室内のシャンデリアや壁の柱時計も当時のままである。北隣の部屋は西が廊下で東側のみ窓があった。ここでは首脳が会議の合間に食事をしたそうである。それから階段で二階に上がった。東南には三代前までの国王夫妻が夏を過ごすための部屋があり、ダブルベッド、そして国王夫妻の衣装が飾られていた。この部屋にB国の首相夫妻も寝泊りしたそうである。

 南西側は王子の部屋で子供向けの鎧や学習道具が並べられた。昔の風景画も掲げられ、イメージがわいた。さらに皇女の部屋は美術品コーナーで、陶磁器やガラス器が置かれていた。さらに三つの部屋があってこの城がどのような歴史をたどったのかを展示していた。

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