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2016年4月20日 (水)

白い闇(18)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 HとGSの31キロは十九分で走った。停車時間は一分である。ここから東に55キロのGTという街までの路線が分岐した。そこは東海岸で石炭の積み出しという役割も持っていたが、炭鉱は閉山となっていた。鉄道も廃止が取りざたされたが、この地域には有力な政治家がいるので「国鉄」は廃止にできなかった。100年前に製造されたローカル用の蒸気機関車が観光用に一日一往復、片道二時間かけて四両の客車をひいて走ったそうであるが、機関車が故障したために、今年は運行なしだと「博士」は言った。

 残り50キロのダイヤは四十分である。短距離利用の乗客が数人乗り込んだ。この付近は一時間に一本の運転で、電化もM港とHの間に比べると十四年送れたそうである。蒸気機関車が貨物用として最後まで残っていたが、それは沿線の炭鉱を支えるためでもあった。「博士」と同行している一人が「電化に踏み切った理由は終着駅に着くとすぐにわかる」と言った。

  T市も炭鉱の町で、海軍の原子力潜水艦が母校にしていた。その関係かなと私は察した。海軍の哨戒機基地と兼用の空港もあってLシティの国内専用の空港と一日四往復が飛んでいた。プロペラ機の時代にはE経由という飛び方をしていたそうである。O止まりの特急を延長運転せよと求める声もずっと出ていた。夜行寝台列車が走っていた時代にはLからHまで客車十二両、Hで後ろ四両切り離しということもあったと「博士」が言った。

 Tまで一駅の小さな駅では真っ赤な四両編成の電車を待たせて通過した。ホームは駅舎のある側にひとつだけ、側線は異様に長く見えた。海側に鯨のような潜水艦が浮かぶ基地が見え、市街地になってT駅に滑り込んだ。M港に似た構造で、行き止まりのホーム一本の両側に線路、側線が何本もあった。駅舎は比較的新しい三角屋根の鉄筋コンクリート造りの二階建てである。

 改札を出るとすぐ左を走っている道路がずっと北まで海岸線を走っていた。バスやタクシーが止まった駅前広場があり、広場の真ん中から北のほうを見たら、白い円筒形の物体が二つ、ドームが二つ見えた。まぎれもなく原子力発電所である。円筒形は三十五年前に作られて一基が60万kW、ドームの二十年前で一基100万kwである。これが理由なんですと同行者たちは異口同音に言った。

 観光案内版によると、B国最北端の岬までは95キロだが、そこまで行く人はめったにいないそうである。炭鉱の資料館がNやIど同様にあった。駅から東に一キロ前後の場所にも炭鉱があったそうである。資料館は駅から歩いて三分側線の脇に経っていた。そして側線だったレールを利用して蒸気機関車が一両保管されていた。

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