« 画面の | トップページ | 逆光になったねぇ… »

2016年4月19日 (火)

白い闇(17)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 留学期間の終わる前にT市まで行くことになった。市役所職員に採用される「博士」も含めて四人での小旅行である。O駅の二階改札前に集まって九時十分発の急行に乗ることにした。急行はE市とT市を一日三往復、343キロを4時間丁度で走るダイヤである。O駅の前後では空港へのモノレールとの接続駅からORまで七駅連続停車、Eまでの間で二駅、後はHとGSに止まった。

 E出発が七時三十分で最高速度は160キロ、赤い電気機関車が青に黄色の帯を入れた客車を牽引した。急行料金は不要の普通車が四両で、座席指定料金の取られるのが二両、昔は郵便者と食堂車もつないでいたと「博士」は言った。一番線には九時二十分発のLシティ行き特急が止まり、私たちはその向かい側の二番線から出発である。

 座席は四人掛けのボックス席だった。私たちは山側に腰掛けた。座席指定のシートは特急の二等と同じだそうである。Hまで急ぎたい人が乗り込んで、ほぼ満席の状態でスタートした。特急が走るOからEにかけては200キロ対応だが、M港からHの区間は160キロ、Hから先は110キロと規格がダウンすると「博士」は解説した。

 OR駅までは電車と同じく、120キロで加速打ち切りという走り方だった。ORは山側にある駅者に面した一本のホームに四両または二両の黄色に青帯のディーゼルが折り返しという形で入った。Hへ向かう路線のホームはその隣にあって両側に線路という形である。右を走っていた貨物用線路はORの東でHと炭鉱地帯に分岐した。

 発車すると炭鉱地帯につながるレールは複線で、その上をまたいだ。炭鉱地帯もフィールドワークの一環で訪ねた。ORから南南西に二十キロのNまでは複線、その先13キロのIまでは単線でその先は石炭輸送の貨物のみである。電化はされずディーゼルのままだった。急行は160キロ走行で次々と田園地帯の小さな駅を走りぬけ十時二十六分にHに着いた。

 H駅はO駅並みにホームが三本あり、南際の駅舎に面したホームに止まった。隣のホームは炭鉱のある二つの町に分岐する路線はここは電化されていなかった。もう一本がO方面に向かう列車の発着用である。駅の南東10キロには空軍基地と兼用の空港があって空港ターミナルの前を通る路線があった。飛行機の時間帯に合うように四両のディーゼルカーが走るがバス利用も多いそうである。

 十時半にHを出ると電化されていない線路と分かれ、単線になって進んだ。Hでほとんどの客が降りて乗車率は一割あるかどうかである。今まで西向きに走っていたのが、北向きになって遠くに海が見えるようになった。それはこの国の西に広がる大海原だった。Hまでは南を走っていた自動車専用道路が近づいてきて頭上をまたいで右手、東側を走るようになった

 

|

« 画面の | トップページ | 逆光になったねぇ… »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 画面の | トップページ | 逆光になったねぇ… »